ご訪問ありがとうございます。今日は北海道を除いて全国的に雨ですね。外出されるかた、足元にお気をつけください。

 

さて、理由はわかりませんが、昨日はひさしぶりに37度を超える熱が朝から夕刻まで続きました(特段、体調は悪くないです)。そのため、夕刻以降は疲れがでたのか、いつもより1時間くらい早めの就寝となりました。そしたら、うまくできたものです。。。。いつもより、約1時間早い深夜の小水、それ以降、まどろむものの長い朝までを病室のベッドのなかですごしておりました。

 

夜も明けて、さすがにお腹もへったのですが(回復している証拠ですね)、朝食までには時間があります。そのため、数日前にかった新聞を読み始めました。イスラエルがいよいよガザ南部のRafahにタンクを進めたようですね。パレスティナで仕事をしたことはなく、パレスティナ人には残念ながら知己はおりません。ただ、一冊、パラスティナ人医師が書いたI shall not hateを読んだくらいでしょうか。

 

私はパレスティナやウクライナなどの記事を読むと、いつもEnough is enoughという感情が心に浮かびます。具体的な場面は忘れましたが、かつてUNHCRにご勤務、また国際協力機構を長らく率いた、5フィートの巨人、緒方さんのお言葉ですよね。なお、両機関ともお仕事での関係はほぼ無し、あるいは限られておりますので、直接的には存じないのですが、心が迷ったときによく参照するDevelopment as Freedomの著作を持つ、Sen教授と人間の安全保障委員会の共同議長を務めておられましたので、時折フォローはしておりました。

パレスティナとイスラエルのことは、これは簡単にはかけませんので、読んだ本の一節を共有させていただきます。I shall not hateの著者はパレスティナ人医師であること、上に記しましたが、確か主たる勤務先はイスラエル内の病院ではなかったかと記憶してます。もちろん、夜はそのままイスラエル領内にはとどまれませんので、毎夕、ガザ地区の自宅のアパートメントにもどります。

比較的大家族のように描かれていたかと思いますが、娘さん含め、家庭に帰れば団らん、談笑があります。具体的にはどの時期の衝突だったか思い出せませんが、イスラエル軍の爆撃により娘さん3人を一瞬に亡くされます。アパートメントの全壊は避けられたようですが、壁には大きな穴があき、半壊状態。。。。

そして硝煙が収まると、自分の足元に娘さんのばらばらの遺体、あまりの衝撃に私の脳が記憶を拒否したのかもしれませんが、確か、娘さんの生首が足元にあった、というような描写もあったようにおぼろげですが、、、すいません。この部分、精確ではないかも。

一つ一つの単語は追えるのですが、でも一つのながりをもった文章として、理解できないのですね。たぶん、私のこれまで生きてきた日常ではあり得ないことなので、脳がイメージできない、あるいはイメージすること自体を拒否したのだと思います。

Enough is enough, enough is enoughですよね。日本は平穏に朝を迎えていますが、あわせて当地にも平穏が戻りますように。