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眠りがとても浅いせいか、今日も朝方2時頃の小水トレイ以降、寝付けなくなっております。瞑想したり、昔のことを思い出していましたら救急車の音、おさまったと思ったら次の救急車の音、明け方近くにももう一回聞こえたでしょうか。ここ病院で感じたスタッフみなさんの動きということ、#8.で雑記しましたが、私の業務様態とは180度異なるように感じています。

私の業務は、調査から始まって計画策定、設計、調達、工事実施といわばシーケンシャルに進んでいきます。他方、病院の様態は、入院から手術、リハビリを経て退院といった事前予定的なシーケンシャル型もあるのでしょうが、でも緊急医療などが発生しますのでランダム様態なのかな~、、と勝手に浅い眠りの中で妄想しておりました。

そしたら、私の業界の周りでも若干それに近いランダム対応型、しかも緊急対応様態型の事案があること気が付きました。確かあれは、2000年代末だったでしょうか、巨大なサイクロンが某国を襲います。しかも、確か大潮とあわさって、沿岸部やデルタ地帯に甚大な被害を与えたことがありました。

当時、日本にいた私は、その国にいつでも入れるビザをもっていました。そしてその政権はちょっと(いや相当に)困った政権でした。例えば、米軍が出動していつでも緊急支援ができるよう空母をデルタ近郊まで派遣しましたが、結局、支援許可をださなかったのです。他、大手の国際援助機関も政府からの行動許可承認取りのため、なかなか自由に緊急支援を開始できない状況でした。

ここで、UNが中心となって、こぶりの集団による緊急支援については、当該政府の許可がでていました(すなわち、国際NGOとか現地のNGOとかによる草の根レベルでの緊急支援は認める、ということですね)。

当時おつきあいのあった、某機関の現地代表から「○○さん、現地入れる?ちょっと状況を見てきて欲しいんだけど」とのご依頼(実際はご担当を通じての連絡ですが)。心から敬服している代表さんですので(でも怖い方)、返事は「判りました。何とかします」、これだけです。

翌々日だったと思いますが、当該国に降り立ち、そしてその時点でもう2年間くらいいっしょに働いていた先方政府職員の相棒と空港で落ちあいました。代表さんに簡単に表敬・調査計画の説明を行い、その日午後遅くには現地のデルタに向けて、ポンコツ4駆で向かいました(ランクルクラスは先乗りのNGOさんに抑えられていて、、、腰痛持ちの私はヘルニア防止用バンド締め付けて、とにかく暗くなる前に、デルタ内ではまだ上流部にあり被害の少なかった町場につきました。

一泊後、翌日は相棒が事前に手配していた木造の船でデルタ内の大河川をくだります。なお、船は船室がありますので、甲板から降りて暗い船室で構えていました。最初は、よう揺れるわ、、くらいでお互いはしゃぐくらいでした。そしたら、そのうち、体が空中にトスされる船の上下運動となり、さすがに引きつりました。でも、相棒も私もここらへんで船止めて調査しようとは言い出しません(お互い見栄っぱりです)。とにかく、船頭さんにまかせております。

でもその船頭さんも「もうこれ以上はいけん、あんた方のいきたいところはまだ数10kmもあるど、やめた方がいいぞ」、と。瞬間、はい、近くの岸に止めてください、です。よかった。よかった。とにかく、大事なもの無くしたら終わりですからね。

この後は、次のブログにて。本日も、みなさんいってらっしゃい。あつい一日になりそうですが、お気をつけて。