ご訪問、ありがとうございます。

 

ただいま某病院の8Fの病室に入院しています。ステロイド投入により自己免疫の暴走がおさまっていますので、コンビニいってThe Japan Newsを買って、Worldのところを読んでいました。そしたら、この前の総選挙でANCが単独政権とできず、最大野党のWhite-led(要は白人主体)の政党と連立するようですね。これは、マンデラさんが勝利に導いた1994年の初の自由選挙から30年ぶりのことのようですね。

 

わたしは1990年代は南部アフリカの国々で仕事をしており、さすがに南アでのビジネスはありませんでしたが、渡航ルートは成田~香港~ヨハネスブルグ(ときどきケープタウンで一休み)と、南アをいつも経由していました。あれは、もう年末近い帰国の時だったと思います。ヨハネスブルグでのトランジットの途中、マンデラさんの伝記をコンサイス版とフル版の二つ買い込んで飛行機に乗り込みました。

 

長距離ですので、当時、若造の私でもビジネスクラスを使わせて頂き、読書灯を付けながらゆっくりとコンサイス版を読み始めます。子供の頃のこと(酋長さんのご子息ですね)、反アパルトヘイトの闘志となっていくさま、そして27年間の投獄、その後の釈放と全人種間の選挙を経ての初の黒人大統領就任、しかも白人をいっさい粛正せず、全人種の融和、それを目指した虹の国(いろんな色が混じっていますね)を掲げて前に進んでいかれます。

 

本を読んでもうしゃくりあげてしまったのは、実はその生き様もですが、マンデラさんは娘さんが生まれてすぐ長い投獄となります。そして、当時のアパルトヘイト政権は獄中からの政治運動を制限するために、一回あたりの面会者を1名だけとしています。結果、奥様だけが面会する、すなわち娘さんには一切あえないこととなります。

 

そして、いよいよ釈放が近づいた頃、恐らく投獄が始まって25年くらい後でしょうか、、、お嬢さんがもうご結婚されて、そして女の子(赤ん坊)を連れて面会にこられたのですね。マンデラさんにとっては、目の前の女性が娘さんで娘さんの腕に抱かれているのはお孫さんなのですが、ここでマンデラさん、大混乱、、、『えっ、いや、いま抱いているこの赤ん坊が私の娘のはず、すくなくとも娘はこんなんだった、、、でも、それはいまは私の目の前にいるりっぱな一人前になったこの成人した女性、、、娘はもう成人した女性、、じゃあ、この手に抱いているのは孫』、、、、という混乱ですね。

 

私は娘が二人いますが、当時はどちらもまだ小学校就学前だったと思います。そんなこともあって、ほんとに暗い機内の中でしゃくりあげながら読んだことを昨日のように覚えています(だいたい、涙腺ゆるめなんですね。私。。。)。

 

私は、マンデラさんは本当のstatemanとして尊敬しています。その生き様もなのですが、やはり大統領一期限りで次はもう後輩に譲られたあの権力にいっさい拘泥しないすがすがしさ、深い感動を覚えます。最近のどこかの長期独裁政権を率いる権力者とは180度異なりますよね。。。

 

そういえば、最高に尊敬するのはマンデラさんなのですが、ついでに、もう少々、尊敬する方を紹介させてください。次のブログとします。よろしければ、次もご訪問ください。