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2024年1月24日に入院して、当日は同意書の確認、手術手順の説明、また麻酔科の先生等と打合せでした。そして、いよいよ25日早朝、長女とともに地下の手術室に向かいます。めがね等はすべて外して手術室に入り、そのまま手術台の上に、右側面を上にして横たわります。

 

そしたら、ここで問題になるのが、下にくる左上腕部の激痛。実は2023年10月に某地中海沿岸国のジムで筋トレをやっていたら、I Love Japan!!とか若いポパイ連中にはやし立てられ、調子にのってウェイト2段階あげたら左上腕部の筋が断裂しました。その後遺症が、まだ癒えていません。。。いたい、と思いながらも、本番の腎臓癌摘出の手術はもっと大変でしょうから、おとなしく、横たわります。

 

先生方、看護師の方に囲まれ、そしてまずはエビ状態に背中を曲げての麻酔です。針が背中にぐぐっと入ってくるのが判ります。ところで、麻酔科の先生はきゃしゃな女性です。きゃしゃな細腕を信頼はしていますが、、、先生、遠慮せずに力こぶだしてください、と心で念じます。

 

看護師さんからは、もっと先生の方に背を出して、はい、そこ、いきます、またまた針が背骨のあたりにはいってくるのがわかります。そしたら、いきなり、右の腰部~臀部~大腿部から下部にかけてズドーンとむっちゃ鈍い衝撃がはしりました(恐らく、この時、麻酔薬がはいった??よくわかりませんが)。えっ、、、これって何??ちょっと苦しい、苦しいです、、でも我慢、我慢します、耐えます。泣きません、と念じました。

 

そういえば、このズドーンという衝撃、これまで生きてきて一回だけ経験していますね。もう、何十年も前ですが、当時、某国の砂漠地帯で仕事していました。そしたら、ジェット戦闘機が直頭上をかなりの高速で飛び去りました。コンマ・セコンド遅れて、頭のてっぺんから足下までズドーンです。一瞬、何が起きたかわかりませんでしたが、気がつけば股間がびしょ濡れでした。衝撃波によって、たったまま失禁したということですね。

 

でもって、次は麻酔吸入開始、あっという間に落ちます。もう何も覚えていません。次は、○○さん、○○さん、終わりましたよ。目を覚ましてください、でした。ぼーとしながら、周りを見ると、先生方や看護師の方々が片付けに入っているのが判ります。ストレッチャーに載せられ、酸素吸入マスクをして、あわせて背中からの痛み止めの追加注入管や、排尿用の管をいれられているのでしょうが、、、よく判らず、病室に向かいます。

 

病室に入り、自分のベッドに仰向けに寝かせられて、エコノミー症候群防止用の小型ポンプでしょうか、それが両足につけられていることなど、徐々に、自分の周りの環境認識が進みます。そして、病室でまっていた娘をしっかりと認識できました。娘によると、酸素マスクはしているし、足には超ださいガンダムブーツがついている、さらに心電図、酸素飽和度測定器、点滴チューブ、背中への痛み止め追加用装置、排尿用パイプなどなど、もうもつれる感じで体についていてかなり衝撃だったようです。

 

でも、先生、看護師さん、その他助手の方々のプロとしての仕事、また家族や友人・同僚からの励ましもあって、右腎臓摘出の手術は無事終了です。一応、昨夜、「60年を超えてよく頑張ってくれた、明日はもうさよならするけどホントごめんね、これまで感謝しているよ」、と右腎臓さんにもお話しておきました。

 

そして、これで一気に回復に向かうと思うや、、、はい、傷の回復は問題無いのですが、やはりあちこち、特に右脇から右腰部を中心にして、絶え間ない激痛があがってきます。追加の痛み止めは使うのですが、あまり連続使用はしたくないため、ミニマムにします。そのせいもあってか、体の右側は激痛が走っています。

 

これに、ガンダムブーツがとれた直後から歩行訓練が加わります。先生は容赦しないです。むちゃ痛くてつっぱるのですが、でも歩くと、確かに体の中にある激痛が和らぐ感じがします。これは、しめたものです。今回は、拙宅の財務大臣(=ママ)のご裁可により個室を使っていますので、夜間に痛む場合は、点滴チューブや尿排出のチューブを支柱ごとつれて、部屋の中を徘徊できます。

 

そして、椅子に座っては小休止しながら、痛い、痛い、痛いです、と小声をだしながら、またゆっくり立ち上がって部屋の中を徘徊散歩、そしたら、また椅子に座って小休止とこれを繰り返していくと、もう疲れが今度は極限になって、やっと寝れます。というか、ベッドに入ったら落ちます。2~3時間もすると再び激痛で目が覚めるのですが、再び、徘徊の開始、それを朝方までやって、再びベッドで落ちる、という生活が1週間ほどつづきました。

 

そういえば、お若いご担当の先生が面白い方で、○○さん、これで『ラスボス』はやっつけましたからね!!ラスボスはもういませんからね!!腫瘍は6~7cmですのでこれだとステージII、でも肺の腫瘍が転移であるならステージIVということになります。肺は手術するのか、抗体(免疫)治療をするのかは今後の検討ですけど、大丈夫ですよ。

 

○○部長先生(私の執刀医)はバリキャリですからね。それに、免疫治療で、 ٩(゚∀三゚三∀゚)(:ᘌꇤ⁐ꃳ 三) を同時に使えば(要はオプチーボとヤーボイの別の難しい方の呼称をつかわれたのですが、瞬時に認識できず)、病院なんか不要というくらい回復する人もいますから、大丈夫です!!と、お若い先生。。。。ちょっとだけ調子があれれっ、という感じなのですが、でも熱量が伝わってくるのですね。クールで鋭利さを感じる部長先生、そして熱量ある病室担当のお若い先生、この病院にお世話になって良かったと感じました。

 

といった感じで痛みも激痛から鈍痛に代わりながらも何とか乗り切り、2月5日、この日は大雪でした。ママが来てくれて退院、そして約2週間弱ぶりの帰宅となりました。そしたら、あれ、私の寝室にエアコンが入っています(エアコン完備された the Master's Bed Roomといいたいところですが、日本にいる期間が少ないので、一番、北側のさむ~い部屋が私の執務兼寝室として与えられています)。これまで寝室にはエアコンはなかったのですが、これは大助かりです。まだ、右側にはかなりの鈍痛が残っておりましたが、今度は自分の寝室でエアコンの心地よい温度下で徘徊しながら、夜の鈍痛を乗り切ることができました。

 

さあ、まだこれから肺に転移した腫瘍の処理もありますが、まずは体力の回復です。近所の公園まで散歩を開始し、あわせてPET検査(一種のCTでしょうか?小さな癌まで見つけられるそうです)等々の予約を行いながら、次段階へと進みます。

 

また、おあいしましょう。