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一つ前のブログで、紹介先の病院に向かったこと記しました。2024年1月11日でしたね。着いた先の病院は比較的新しく、非常に近代的に見えました。必要書類を記載して紹介状を提出しましたら、詰まっているため初診が2月5日になるとのこと。

 

えっ、、、、それは困ります。早速、昨日のクリニックに電話したところ、直接、病院間で交渉頂き何とか1月15日には初診が可能となりました。何度かやりとりしてくれたみたいで、ほっとしました。交渉してくれたクリニック側、そして1月15日の若干の空きを抑えてくれた受け入れ先病院のご担当者様には本当に感謝しています。

 

そういえば、受け入れ先の病院では看護師さんが先生の診察可能な時間帯を見つけながら、私の症状を軽く聞きます。昨日の結果を説明しますと、いきなり「腎がんですか!」とのこと。いや、、、あの、、えっ、、わたし、腎臓癌だとは思いますけど、それをまずは調べて頂きたくてきたんですよね。

 

正直いって、こころがちょっと折れました。看護師さんに、いま胸いたくなったです、となきついたら、「あっ、ごめんなさいね」でした。まあ、大手の病院ですので、そのくらいstreight-forwardでないとやっていけないでしょうね。

 

そして、1月15日の泌尿器科の担当医師による診察です。私のデータを見ながら、「なるほど、、、腎臓癌の疑い大ですね。肺への転移はこれですね」。。。とのこと。そして、「ちょうど手術が一つキャンセルになったのですよ。1月24日に入院して25日に右腎臓摘出の手術をしましょう。そして、肺のはその後で考えましょう。術式はこれこれにて、、、時間はこれくらいかな」とか、あといろいろと説明がありましたが、ただ素直に聞き置く、というような感じですね。

 

だって、よく判りませんものね。ただ、摘出した腎臓で組織検査をやって癌の種類を特定するとのこと、ということは、1兆分の1の確率で良性だってあるだろうけど、それ捨てるのかと思いましたが、まあ、自分を納得させました。ちなみにこの日は次女が付き添ってくれていました。私は聞き取れたはずですが、やはり、あとから娘と確認すると、ほとんど両側の耳を通り抜けていただけのことが結構あったようですね。

 

今日は1月15日、そして入院は1月24日(手術は25日)、そうたった1週間しかありません。夕方に帰宅してママに報告、そしたら、「そんなに早く運ぶの!手術とか相当に待たされるんだよ、いまの時代。それはラッキーだね。きっと、いい方にいくよ」でした。

 

ついでに、またまた超上から目線で「これで生活態度をちゃんとあらためないとね!!」です。あの~、好きでやっている仕事にて、そんなに突っ込みすぎている、といった感覚自体がないんですよね。それに、歳とともに、さすがに働き改革もしていますし。。。。

 

そんなこんなで、続いて社内関係者と協議、関係プロジェクトの体制の変更、発注者への説明アポ取り等々でばたばたです。そういえば、我が家は公共料金、新聞、その他ほとんどは私の名義およびクレカ支払いになっています。これを、すべて整理して、あわせて証券会社なども一覧表にしてまとめていきました(投資は趣味です)。すなわち、万一に備え、あるいはもうあまり長生きできないかもしれないので、それらの名義の変更準備ですね。

 

客先への説明や今後のことを社の幹部から協議してもらった後、ご了解を頂き、そして、業務の社内・チーム関係者への引き継ぎ、私自身はフロントラインには当面たてないものの、どのように側面支援でかかわっていくかなど、一連の協議です。あわせて、在宅勤務を利用しながら(平易にいえばちょっと長いお昼時間をつかって)、入院の準備などすすめていきました。

 

そして、1月21日にママ、娘が集まって、万一の事態が起こったときの対応(葬式とか、墓とか。なお、墓はもっていません。実家は関東からかなり右上に飛んだ田舎です)、そしてわずかばかりですが、趣味でやっている証券(円建て米国投資信託、米国株式、米国債権等)の説明と万一の時の相続方法、ママの将来の(かな~り先の将来のように思いますが)介護院にお世話になる場合の方針等々を話して、あとはゆっくり家族で昼食です。

 

なんか、ばたばたばったばたな感じで過ぎていきました。そして、1月24日は入院、娘達がきてくれました。そして、いよいよ翌25日は右腎臓摘出の手術へと進みます。娘が付き添いです。

 

手術後のことは次のブログに回しますね。また、おあいしましょう。