エチオピアの歴史とわたくし。 | いつかギラギラする日

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アラフォーおやじ、yasuのブログです。ニュースに文句をつける、誰にも言えない(聞いてくれない?)本音を吐く、などのコンセプトで進めていきたいと思います。動機は自分の店の宣伝ですが、それに限らず。歴史好き、女性好き、酒好き。仕事はマスコミ(の底辺?)。

エチオピアの歴史に興味を持つようになったのはいつぐらいからだろう。


よく覚えていないが、日本のアフリカ史研究の泰斗、岡倉登志(おかくら・たかし)先生の『二つの黒人帝国』(東京大学出版会、1987年)を読んでからだった。※1





※1 今、ウィキったら、岡倉登志先生って、岡倉天心の曾孫だったのね! びっくり。また、『二つの黒人帝国』は絶版の様子。かなすぃ。


多分、その頃、あっしは高校生。


これも、何がきっかけだったか忘れてしまったが、なんとなくポストコロニアリズム(※2)的な考え方になっていき、そんな流れで、アフリカの歴史に興味を持っていた。


※2 経済や文化、政治に残存する植民地主義の影響を明らかにし、現状を変革するための思想だそうです。


アフリカについては、それまでブッシュマンとか、オスマン・サンコンさんのイメージしかなかった。基本的には、槍でシマウマを追いかけているイメージだった。


それが、調べてみると、非常に多様な歴史を持つことを知り、手当り次第にむさぼり読んだ気がする。


高校生の僕は、80%エロいことを考えていたとしたら、5%はアフリカのことを考えていた。


そのなかで、出会ったのが『二つの黒人帝国』。ヨーロッパ列強の侵出に対抗した2つの国、西アフリカのサモリ帝国と、東アフリカのエチオピア帝国について紹介するものだった。


そこで、イタリア軍を打ち破ってエチオピアの独立を国際的に認めさせたアドワの戦い、およびその時の皇帝、メネリク2世を知ったのだ。肖像写真(下)がかっこういいこともあり、すっかりメネリク2世のファンになり、それは今も続いている。だから、ショップ開店の最初の商品デザインの一つに、メネリク2世を選んだという訳だ。



▲メネリク2世(1844~1913)の肖像(若い頃らしい)



▲メネリク2世(ある程度、歳がいってから。上の写真はショア王時代でこれが皇帝時代とかなのかな?)




▲ちなみにサモリ帝国を築いたサモリ・トゥーレ(1830頃~1900)の肖像写真。やっぱり、メネリク2世に行っちゃうよね(笑)。もう一つちなみに、このサモリ・トゥーレの曾孫が、ギニアの初代大統領、セク・トゥーレです。


今は結婚して2人の子どももいるから、自分の趣味にかけられる時間は圧倒的に少なくなった。だから、情報をチェックするのは、ほんのたまに。


でも、メネリク2世について、日本でアクセスできる情報はまだまだ少ないような気がする。特に、人物像やエピソードが少ないのだけれど、誰か情報を持っていたら、教えてください。また、伝記はちょっと探した限り見つけられないのだけれど、出版されていないのだろうか。調べてみたいが、これも誰かご存じでいたら教えてください。


最近は、ネットで情報が簡単に手に入るから、非常に便利。そのかわり、情報の真贋は見分けなければならない。


メネリク2世で、久しぶりにググってみると、エピソードらしきものがひろえた。


「エチオピアの皇帝メネリク2世は、1890年に電気椅子を使った死刑が行われたというニュースを聞くと早速、電気椅子を注文して取り寄せた。しかし、当時のエチオピアには電気はなく役立たずだったため、それを王座として自分が座って使用した。」


「おはようございます。きょうはエチオピア皇帝メネリク2世さんの命日だす。メネリク2世さんはヨーロッパから電気椅子を買ったもののエチオピアに電気がなくて役に立たなかったので自分で座ってたら「西洋人が人殺しに使う椅子に座っても死なないさすが皇帝!」と人々から尊敬されたそうだす(Θ_Θ)」


本当かいな。ソースはどこだろう。調べてみよう。


また、ググってみると、在エチオピア日本国大使館の報告書『エチオピア電力事情報告書(平成20年9月」)』(http://www.et.emb-japan.go.jp/electric_report_japanese.pdf)がアップされている。


それによると、エチオピアに電力が取り入れられたのは、1898年にメネリク二世皇帝が宮廷にジェネレーターを設置したのが最初らしい。こういう信頼できる報告書や論文がネットにアップされているのは、本当に超便利。仕事でもよく使う。アップされている情報ばかりにアクセスしてしまうという弊害はあるけどさ。


また、メネリク2世はコーヒー好きだったというエピソードも出てきた。以下、石原美奈子:コーヒーの意味と価値の変容─エチオピア南西部の事例─、『人類学研究所 研究論集』第1号(2013)(http://www.ic.nanzan-u.ac.jp/JINRUIKEN/publication/pdf/kenkyuronshu_01/06.pdf )より抜粋。


『19 世紀半ばまではエチオピアでコーヒー飲用文化はおおむねムスリム社会に限定されており、キリスト教徒の間では「ムスリムあるいはガッラ(※3)のもの」として忌み嫌われていた。とくに 1880 年以降、コーヒー好きで知られたメネリク 2 世の治世下(位 1889‐1913)でキリスト教徒社会の間にコーヒー飲用文化は広まった。同時代の大司教アブナ・マテウォスが、コーヒーをムスリム専用の飲み物ではないと公言したことも、キリスト教徒の間にコーヒー飲用文化が普及するのを後押しした。1930 年代になると、キリスト教徒の一般民衆の間にもコーヒー飲用文化が根づき始める。』


※3 エチオピア中南部からケニア北部に住むエチオピア最大の民族。現在はオロモ人と呼ぶ。独自の文化を王朝を持ち、エチオピア帝国の支配民族アムハラ人からは蔑視された。


へー、もともとはエチオピア国内のイスラム社会の飲み物だったんだね。そうか、メネリク2世はコーヒー好きだったのか。


それにしても、日本の明治大帝、タイのモンクット王やチュラロンコーン大王に匹敵する、国の独立を守った開明君主。

もっと、人柄とかの情報がほしいな。英語ならあるのかな。それともイタリア語?


誰かご存知の方、情報くださーい。よろしくお願いしますm(_ _ )m



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・ネットショップは初めて作りました(笑)。

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