庭先の沙羅双樹の蕾が


日に日にふくよかになっています。

........

私が、大学の相談室に勤務していたときの事。

脚繁く通ってきて来ていた、
1人の女性がいた。
その方は、1人では通いきれずに、いつも優しいボーイフレンドが付き添っていた。

少し経って彼女が、落ち着いてきたときに
『1人で通ってみないか?』
と提案してみた。

彼女は、ひどく心許なさそうに下を向いて


それでも、うん。。。とうなずいて、、、

以来、彼女は一生懸命に
一人っきりで通ってきた。

風が吹けば飛びそうだけど
それでもしっかりと前を向いて生活したいと願う気持ちに、芯があった。

週に1回、
そんな彼女の予約が入っていた。

私がその大学の相談室を辞めて、
独立すると決めた時、
彼女には丁寧に事情を伝えて、
特別に、もしもの時があったなら...と、
連絡先を教えていた。


そして、2年が過ぎ、
ある時いきなり電話があった。

『今、私、実家にいます。
お母さんが、先生と話しをしたいと言うので、電話に出てくれませんか?』

との、前後の説明もない問い合わせ...


育った環境や親を憎んでいた彼女が、
地元を離れて心機一転の他県での大学生活は、
支え励ますボーイフレンドが側に居てくれたとて、
心労、苦労の連続ばかりであったのかもしれない。

そんな彼女が、親元に戻り、
いきなり私に連絡をしてきたのだ。

そのことが何なのか、
私には掴めなかった。

『そうですか。
ご実家に戻られたのですね。
お母様は、どんなことで私とお話をしたいのかしら?』

と尋ねると、

『私が先生の話をいつもするので、
先生がどんな方かと知りたいと言うのです。』

と、率直な答え。

私は、快く
電話口にお母様を呼んでもらった。

お母様は、涙声で感謝と謝罪をされて、
その時、誰に何を謝罪されてるのかわからなかったけれど、
『子育てを間違えていました...』
と言うようなことをおっしゃっていた。

私は、学生の頃の彼女を思い出しながら
この素直で愛のあるお母様と一緒なら、
と少し安心した。

そして、私は
『お母様。間違った子育てなど、あるのでしょうか?
その時その時で、お母様は一生懸命でしたよね。
今の彼女には、そのことに気づける力がついたんです。ただそれだけです。
良かったですね。
お母さんのおかげです。
ありがとうございます。』

そう言って、私は、電話を切った。

.......



それから、また、3年が過ぎた。

そして、また彼女からの電話だ。

私は、少し身構えた。

彼女は言った。

『死んだんです。突然に。
死んでしまったんです。
もう、いなくなってしまったんです。』


その時は、私はふと、心理士を目指したいといっていた、
優しくもはかな気な彼の表情を思い出していた。

『国際的な仕事をしたいと思って、この学部に来たけれど、僕は、先生の様に心理士になりたいと思います。
彼女の為にも!』

そう言っていた彼が、
死んでしまったのだ。


電話口で彼女は泣いていた。


私は、
大変なときに、電話をして来てくれたことに感謝をして、

『教えてくれてありがとう。
すごく、、、驚いたし、、、淋しい、、、
あなたは今、大丈夫?』
と尋ねてみた。

すると、
『先生は、今、どうしていますか?』
と、尋ね返された?


その時、私は気づいた。

彼女は、もう自立している。
一番大切にしていたもの。
その彼を失い、、、

しかし、その彼は
彼女の永遠となったのだ。

私如きの支えなど必要もないほどに
彼女は、一人で立っていようとしている!

自分の大切な人が亡くなるという
深い悲しみの中にあっても
人は、他人を思いやる気持ちが持てるものなのだ。

....

年齢の隔たりは、無関係です。

人というものの素晴らしさ、逞しさ、
生きている''今''を教えてくれる
本当に素晴らしい出会いでした。


それは、この季節のことでした。
あれから毎年、
沙羅双樹とともに
思い出の中に彼女が大きく息づきます。

昨年、少し刈り込んだ
庭先の沙羅双樹は、
更なる蕾を持ちました。

東北で暮らしている彼女が
今どうしているかは知る由もありませんが

少し懐かしく
そして、今年も
『ありがとう』と伝えます。

すると、
記憶の中にある全ての生と死が
今ここに在る生死涅槃となって息づくのです。


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梅雨を呼ぶ沙羅双樹の蕾らは
生死を巡る今ここに
桑田滄海 諸行無常
味わい尽くして生きていく