私は、QOML派です。
この知識は、雪月花氏という研修医の先生から教わりました。
QOL quolity of life 患者の生活の質ではなく、
QOML quolity of my life 自分自身の生活の質を考えよう。
これを聞いて、反QOML派の方たちは、
医師とは聖職者であり、患者のために尽くすものである
と言われるだろう。
しかし、その結果が、
http://ameblo.jp/reservoir-dogs/entry-10027039859.html
循環器センターICUからの医師撤退を招いたのです。
全国の産科医撤退も、もはや止まるところを知りません。
QOMLという考え方は、決して自分自身の生活「のみ」に重点を置いた
考え方ではないと思うのです。
他人に優しくするためには、自分自身に余裕がないとできません。
そのために、自分自身の生活「にも」重点をおきましょう。
それこそが、QOMLという考え方の本質だと思うのです。
医療不信を必要以上に掻き立てるマスゴミが、「医師に暴言をはかれた」
という再現番組を作ったりします。どうせ、8割は捏造でしょう。
ただ、実際に暴言をはく医師も実在するのでしょう。それは、きっと
自分自身に余裕のない医師なんだと思います。
何も、暴言をはく医師をかばうつもりはありません。しかし、
その背景を考えると、やはり過酷な労働環境があったのだろうと
思えるのです。過酷な労働環境が、彼の心を荒んだものにして
しまったのでしょう。
実際、私も疲労がたまってくると、明らかに心の余裕がなくなっているのを
実感します。いつもなら、愛想笑いで流せることも、露骨に嫌な態度が
出てしまうのです。
人間的に未熟なのかもしれない。成長すれば、心に余裕がなくても
体面上は余裕を演じることができるようになるのかもしれない。
でも、成長しても出来ないかもしれない。
何より、表面上演じることが出来ても、そのストレスは確実に
身体的ダメージとして蓄積していくに違いない。
そう考えれば、そのような「成長」の道を選ぶよりも
やはりQOMLを尊重するべきだ、と思えてくるのです。