性と聖、読み方は同じである。
性は性質、性格等そもそも備わっていた内容を表す時に
使われる事がある。本来、生来に関連した意味で。
人間以外の存在においては本能のままに生きる事が自然であった。
しかし我々にはそれが許されてはいないし
その範囲で生きる自由を与えられてしまった。
理由はともかく。
本来の性をどう変化させて行くか、個々の自由である。
その自由の有り方の価値観の変化が歴史を
形作っているとも言える。この理由もさておき。
もっと個人的な価値観に収束させてしまうけれど
冒頭の性と聖の関係。性は性(さが)と言った方が分かりやすい。
この「性」と同じ読みの「聖」に変えていくことは
人の生き方のひとつではなかろうかと考えた。
死ぬまでにろくでもない私が一歩でも聖なる存在に
近づけるよう諦めないで生きようと思う。
まあ聖なる存在なる言葉も曖昧なのではあるが。
言い換えればそもそも備えていた性(さが)をひとつひとつ
消して最後は身も心も無に近づいていけば良いと思う。