2月11日、建国記念の日である。
普段私は日本人だと思っているし、コレを読んでいるヒトも
自身を日本人だと意識もした事が無いくらい日本人だと
思っているだろう。
さて、それでは何を持って日本人と言えるのか。
考えた事は有りますか??我々日本人同士なら
見た目でほぼほぼ日本人と分かるけど。
見た目で分からない場合も勿論あるが、
まあ手っ取り早く言えば国籍に基づくものなんだろう。
ただ今日この日、日本国の、国の成り立ちに思いを馳せるのであれば
別に日本人である必要は無い訳だ。アメリカ人でも中国人でも
本国より日本大好きと言うマニアがいるかも知れない。
でもやっぱり妥当な感覚として我々が何となく思う
日本人だと意識している日本人が日本国の建国に
思いを馳せているんじゃないか。ややっこしい。
さて私は何をもって私は日本人とやらを意識させられて
いるのか。そう意識させられているんである。
特に民族的に大きくばらつきが感じられないから
日本民族であると言うアイデンティティは容易に
受け入れさせられているように感じる。
日本人は民族的な要素で国民が大体一致しているので
同化と言う部分で強い同一指向性が生まれやすいのでは
ないか。そう意味ではまとまりやすくもあるが
集団で硬直しやすい嫌いもある。
建国にまつわる神話を容易に受け入れさせる土壌、
一旦受け入れれば硬直してしまう。70数年前に
日本国の行方を左右したものは…。
物語は時として民族を必要以上に
意識させ排他的になる危険性もはらんでいる。
日本建国の物語にしても末永く豊かな物語として
親しまれる事を祈って。