【安全保障法制】自助努力と日米同盟が平和守る | 公明党 川原のぶあきオフィシャルブログ

【安全保障法制】自助努力と日米同盟が平和守る

こんばんは!!暮らしのレスキュー隊長 川原のぶあきです。


先日20日、公明党安全保障法制に関する検討委員会で
私の大学時代の恩師である熊本県立大学理事長の
五百旗頭真(いおきべ まこと)先生(神戸大学名誉教授)が
講演をされました。その講演要旨について25日付公明新聞に
掲載されましたのでご紹介致します。












歴史踏まえ成熟した議論を

 日本史は時として間違いを犯すが、失敗の後、そこから学んで
再生バネをきかせて躍進するのが日本史のいいところだと思う。
 例を挙げると、663年の白村江(はくすきのえ)の戦いがある。
日本は現地の気象も知らず、地理もつまびらかにせず大軍を出し、
唐と新羅(しらぎ)の連合軍に壊滅させられた。 白村江の大敗で、
唐文明がどれほど強大かを知った。大和(やまと)は翌年から
しゃにむに唐文明の力の秘密を学び始め、約半世紀後の710年
には唐風律令国家の都・平城京をつくった。失敗、愚行もやったが
愚行の後に懸命の学習によって日本史上最大の躍進期をつくった。

 1467年の応仁の乱から1600年の関ヶ原まで133年間は
戦乱に次ぐ戦乱だった。その中から織田信長、豊臣秀吉、徳川家康
が出て結局、日本史上最長の平和、270年の徳川時代を築いた。
 ただ、鎖国を条件にしたため近代の産業革命に遅れをとった。
1853年の「黒船」の衝撃の後、徳川幕府も明治政府も、近代
西洋文明の力の秘密を学び同じ水準にしなければ結局、日本の
安全はないといので猛然と学んだ。約半世紀後の日露戦争を経て、
非西洋社会の中で日本はただ一国、非常に早い時期に西洋列強と
並び立つ存在になった。しかし、明治憲法には政治が軍部をコント
ロールできない欠陥があった。ところが「不磨(ふま)の大典、
陛下がくださった欽定(きんてい)憲法に手を付けるというのは
国賊だ」みたいな観念が強く、結局その欠陥憲法を抱いて憲法を
改正できないまま昭和20年(1945)の敗戦に至った。
 明治憲法をまともなものにしておけば、戦争に次ぐ戦争、理由
もない戦争を重ねるということはなかったと思う。主要都市は京都
以外、全部廃墟になった。その時代の中で、私は昭和天皇と吉田茂
を取り上げたい。復興についてビジョンを持っていた二人のトップだ。
 昭和天皇は終戦から1年の時に吉田内閣の閣僚との懇談会で、今
は大変な時代だけど、白村江の戦いの後、むしろ日本史は改革の時期
をもって大きな進歩を遂げた。そのことを思えば、これからも絶望
することはない。みんな頑張れとおっしゃった。最近公刊された
『昭和天皇実録』に明記されている。大変な歴史家だと思う。
 一方の吉田茂は、「戦争に負けて外交で勝った歴史はある」とうそ
ぶいた。首相になる瞬間に自分の歴史的使命を鮮明に言えた人は吉田
以外にないと思う。吉田は戦争中に英国の歴史家トレベリアンの
『英国史』を読み、米国独立戦争に負け、欧州の三流国になったと
馬鹿にされた英国が、その後、外交でじわじわと押し戻し、ついに
ナポレオンを退けてビクトリア時代の全盛期を築いた歴史を学んだ。
 吉田は、日本も今度は外交によって平和的方法でよみがえらせる
ことを自分の任務にするとその瞬間に意識していた。大変立派だと思う。
 政治家はビジョンを具体的な政策にしないといけない。吉田の課題は
失った安全と経済の再生だった。それをどうやるか。彼の答えは両方とも
対米基軸だった。 冷戦がすぐ始まり、超大国ソ連が日本の脅威となった。
敗戦日本には防衛力もない。ソ連以上の超大国である米国に安全を見て
もらうしか手はない。経済・復興はこれも米国だ。なぜならば、戦後世界
に五体満足な経済は米国だけだった。当時、世界のGDP(国民総生産)
の半分を独占する米国だけが他国を助ける力を持っていた。加えて対米
基軸には特別な意味があった。戦前の日本やドイツは「持たざるものの
正義」で、資源や市場は軍事力で取ろうとした。米国はそうしたヒットラー
のドイツや日本軍国主義をたたきつぶした。それだけでは済まないと
思ったのが米国の偉いところだ。もし、このままのシステムでやって
いけば、必ず次なるドイツ、日本が現れる。だから市場や資源を共有できる
ようにしなければいけない。それが自由貿易体制だった。だれでも買える、
だれでも売れる、そういうシステムを米国のブレトンウッズでつくった。
これは戦後日本にとって、吉田が率いる戦後日本にとって救いだった。
 米国との友好関係が経済復興、繁栄のためにも必要だということで、
吉田は対米基軸を断固進めた。しかしながら、国民に分かってもらえたか
というと、そうではない。
当時、戦争中弾圧されていた共産主義者が連合国
軍総司令部(GHQ)によって解放されて大変な英雄ぶりだった。吉田が
対米基軸と言っても聞く耳を持たず罵倒された。
 冷戦が終わって、国連平和維持活動(PKO)協力法を作る時など安全
保障上の変化の時には必ず全面対決の機運になる。
なぜかといえば、戦後の
日本人が、あの戦争に次ぐ戦争、そして敗戦に終わった悲惨、あれだけは
繰り返したくないからだ。そして、「いささかでも軍事に関わることは
許せない」ということが今に至るまで繰り返されている。しかし、この世界
に生きるのなら安全保障と無縁でいることはできない。そろそろ成熟して
もいいのではないか。



「平和の価値」示した戦後日本

 戦後日本は米国に安全保障を委託したため、限られた防衛力で済ませ、
憲法9条に手を付けずにすんだ。私の京都大学の先生だった高坂正尭
(こうさか まさたか)教授が『国際政治』の中で言ったように、国も
国際政治も、「力の体系、利益の体系、そして価値の体系」からなる。
戦後日本はもっぱら利益の体系、ほとんどのリソースを経済に投入する
という生き方をした。戦前はあまりにも力の体系に比重を置きすぎて
破綻した。戦後日本は利益の体系だったが、利益の体系ばかりでは尊敬
できるものではない。しかし、戦後日本にはそれなりに価値の体系も
あったと思う。1954年、独立後間もない時にコロンボ・プランに
加わり、日本は途上国の援助に関わりはじめた。
 65年には青少年海外協力隊が発足し、途上国の人々と共に汗をかく
協力を始めた。77年に福田赳夫首相(当時)がマニラで発表した福田
ドクトリンで、日本は経済大国になっても軍事大国にはならない。
アジア諸国民との間で心と心の触れ合う友好を築きたいと訴え、大変な
国際的評価を得た。防衛については必要な範囲で、余力があれば日本は
むしろ世界の貧しい国々の発展のために力を尽くしたいという生き方だ。
政府開発援助(ODA)の最大の供与国となった。それが今、世界で
日本が高い評価を受けている大きな基盤になっていると思う。この日米
同盟を中心にしながら、経済的役割を拡大するという平和的発展主義の
生き方を、冷戦終結まで持続的に行ってきた。ところが、冷戦終結ととも
に事態が変わった。そのため我々は今、難しい問題に直面している。
 湾岸戦争が勃発したとき、軍事に関わらない主義の日本は財政的な支援
にとどまり、世界からサンドバッグのようにたたかれた。冷戦下では米ソ
両超大国が安全保障を独占した。それが崩れた後、国際安全保障は皆が
それぞれ持ち寄ることでしか維持できない。そこで日本は、92年に
PKO協力法を制定して自衛隊を平和目的のためにカンボジアをはじめ
世界各地に派遣し、重要な役割を果たしてきた。 また、冷戦終結後、
近隣の北朝鮮は核とミサイルを振りかざし、中国は経済発展の上に軍事
発展を乗せ始めた。冷戦終結後の20年で、中国が発表する軍事費だけで
20倍になった。中国はもともと巨体だし、経済が高度成長した上の軍拡
だからすごい勢いだ。その力を背景に尖閣諸島や南シナ海の島々に支配を
ひろげている。日本が持っているのは抑止力ではなく専守防衛の拒否力だけ。
その力の乏しいフィリピンが次々に島を失っていることを見ても、拒否力を
ある程度持っておくことが必要である。そして、それ以上に大事なのは日米
同盟。中国が本当に恐れているのは米国の軍事力だけだ。この米国と日本が
同盟関係でしっかりしていれば手が出しにくい。そういう意味で「日本の
自助能力は侮りがたい」ということと、「日米同盟がしっかりしている」
という二つのことが重要になる。


国際安全保障への貢献は必要

 それとともに大事なことは、多くの国と友好関係を築いていくことだ。
安倍晋三首相も50カ国以上回って協力関係をつくり、日中首脳会談も
回復した。今回の平和安全法制を見れば、二つの大きな軸がある。
一つは国際安全保障への貢献として国際平和支援法案である。自衛隊に
よる外国軍隊への後方支援を可能にするためこれまではその都度、テロ
特措法やイラク特措法のように法律を作ってきたが、この法案によって、
国際的に正当性があり、日本の安全のためにも必要であると日本が判断
すれば後方支援や人道支援のため、自衛隊派遣ができるようになる。
 ただし、気を付けるべきことがある。例えばイラク戦争はやらずもがな
の戦争だった。米国自身も苦しみ、世界にも随分悪い結果を残した。
そういう戦争を日本政府は断固支持し、自衛隊を派遣したのは危ういこと
だった。幸い、自衛隊はイラクで子どものために鯉のぼりを掲げるなど
現地の人々に共感を築いて、どんな部族、宗教グループにも御用聞きに行き、
一緒によい街をつくるための協議会までつくってもらった。他の軍隊とは
全然違う活動であり、子どもたちも日本の自衛隊にはにこやかに手を振る
関係を築いた。また、小泉官邸も偉かった。米国がイラク戦争を続けている
のに、先に自衛隊を撤収させた。しかもブッシュ大統領に「日本はよくやって
くれた。これまでの協力ありがとう」と祝福を受けて先に引き揚げた。これは
神業だと思う。しかし、米国の戦争に全部ついて行ってはいけない。どこの国
も間違うときがある。おかしいと思ったら「このたびは私たちは失礼します」
と言えないといけない。PKO協力法の改正で自衛隊の任務が増えて危険は増す
が、しかし危険があるから全くやらないというのはおかしい。危険があっても
日本自身を含む国際的な平和と安全のため労を厭わないというのが必要な時も
ある。もう一つは我が国の存立の問題、安全の問題だ。武力攻撃事態法を改正し、
存立危機事態では集団的自衛権の行使を限定的に容認した。しかし、米国が
地球上至る所でやる戦争に全部ついて行くことを容認しているわけでは全くない。
日本の存立に関わる場合であり、それをしっかり守っていれば問題ないと思う。

 それから重要影響事態法案。日本の平和に大きな影響を持つ場合には外国軍隊
への後方支援を行う内容だ。日本が自ら戦争に躍り出るのは、今後も存在する
憲法9条違反であり、この法案によってもダメである。公明党がついている与党、
国会においてそれはとても通らない。
何でも米国について行くというのではなく、
この戦争は本当に正当性があるのか、そして日本自身の存立、国益にどれほど
意味があるのかということをしっかり判断して、関与の有無とレベルを決めない
といけない。その意味では防衛省だけでなく外務省も、しっかりしないといけない。
 国際安全保障は全部他国に委ねて、日本は温々と自己利益ばかり追求する
戦後のあり方では通らない。何らかの形で日本も国際安全保障を支えるべきで
ある。そして、わが国の安全、国益をしっかりと踏まえ、しっかり者として
良い判断をすることが日本の課題である。公明党にはぜひ頑張ってほしい。



追記

 私も五百旗頭先生から政治思想史、政治史を学んだ一人ですが、
日本史の具体的な事例や歴代総理などの政治家への取材から得た事実
を踏まえた内容で、とてもわかりやすいと思いました。


 今、参議院で平和安全法制に関する議論が行われていますが、一部
野党の方々の質疑を聞いていると、反対ありきの反対議論感情論
の反対
でしたかないと感じます。

 
 実際に激変した安全保障環境下で、また現行憲法を堅持しながら
わが国及び国民の命を守り抜くためにどうするべきなのかを
しっかり議論をして頂きたいと思います。

そして、一部マスコミの皆さんには、自社の論調に偏り、国民に
「戦争法案」「徴兵制復活」などの誤解を招くような報道は
慎むべきだと思います。