こんばんは!

月曜担当のMr.Hですにひひ


本日ご紹介するのは「自分がない人は質問ができない」というお話です。



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<『 質問力 』  日本経済新聞社  
   飯久保 廣嗣 著  より >


     ☆☆  自分がない人は質問ができない  ☆☆


 質問というと、相手の発言や考えを引き出すための、


なにか受動的な行為のように受け取られるかもしれません。


ここには、大きな誤解があります。


質問力にはすぐれて能動的、積極的なものですから、


自己発信をする意思がなければ、まず身につくことがありません。


そのポイントは二つです。


1.自分の意見や意志をしっかりもっていること


2.人間関係を構築する積極性があること

想像してみてください。インタビューや裁判の尋問のような


特殊な場合を除いて、一般になにかの問題について議論する場合は、


一方だけが質問をし続ける、というケースが考えられるでしょうか。



「今日のお昼ご飯は何がいい?」


「最近、脂っこいものが多いから、あっさりしたもの。うどんなんかどう?」


「いや悪い。うどんは昨日食べてしまったんだ。残るは・・・


和食となると、そばとか天ぷら定食?」


「そばって限りなくうどんに近いだろう。


それに、あっさりしたものが食べたい人間に天ぷらを提案するのは


論理的に間違っているだろう。ところで、寿司なんかどうだ?」


「寿司。いいねえ。○○寿司の昼定食の中トロ丼は安くてうまいけど、


あここは?」


「おぉ、あそこの中トロは脂がたっぷりのっていて、


うまいよな。よし行こう」



まあ、はっきりいって昼ごはんの件などは、


ことさらに検討するような問題ではありません。


しかし、人はどんな小さなことを決めるのだって、お互い


の主張を質問の形でぶつけあって議論を収束させていくわけです。



それが、自分のない人となると、「お昼ご飯は何がいい?」と


聞かれると、「なんでもいいよ」と答えてしまい、


時に不本意な目に遭うわけです。


そこで「うどんはいやだ」と反論しても、「さっき、なんでもいいといった


ろう?」と答えられたら、筋から考えれば、なにもいえないのです。



冗談のような例は別として、「自分」がなければ、相手に質問をし、


なにか答えられても、その答えが自分の質問にたいして


的確などうかを検討し、さらに議論を重ねることができません。


「自分」を持て、といってもすぐにはどうすることもできませんが、


問題やトラブル、そして課題に直面したときに、


「自分なら、これをどう考えるか?」と常に自問を続けることが


なによりも大切でしょう。


また、より基礎的なレベルの条件でいえば、


コミュニケーションというテニスでラリーができる人とでもなりましょうか。


言葉のやりとりができる人。


こちらが質問をすると、一言ぽつんと答えて、


そのままで終わってしまう人がいます。


逆に、質問されたので、こちらが答えると、「あぁ、そうですか」


といって後が続かない人もいます。これでは、


せっかく質問力を勉強しても発揮できません。



 人とコミュニケーションをとるのが苦手な人というのはたしかにいます。


そして、話し下手だったり人見知りをする人というのは、思慮深く、


自分の弱点がどこにあるのかを認識しています。


 経営コンサルタントの大前研一さんは、


今でこそ鋭い論客というイメージでならしていますが、


昔は典型的な理系人間で、人前で話すのが苦手だったそうです。


そして、彼はその弱点を克服するために、


寄席に通って人前で生き生きと話す落語家の姿を勉強しました。


現在の巧みな話術は、地道な研究


と努力の結果磨いたものと聞きました。



 ゆとりに満ちた態度、ユーモアにあふれた話し方には、


誰もが耳を傾けます。


プロのようになれとはいいませんが、


訓練次第である程度は誰もが身につけられるものです。



 いま、話し下手、コミュニケーション下手だからといって、


まったく気にすることはありません。


要は、意識を変えて、積極的に自分の意見をいえば


いい。それだけのことです。最初は苦い思いをするでしょう。


でも、必ず慣れます。

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いかがだったでしょうか?



普段の会話での自分の意思を伝えるやりとりが


いざという時に相手に対して臆することなく質問できる


力となるのではないでしょうか。


ではまた来週!