こんばんは!
月曜担当のMr.Hです
。
本日ご紹介するのは「惚れた人物には、知行の半分をさしだす」というお話です。
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<『 戦国武将 人を動かす天才に学ぶ 』
三笠書房 鈴木 亨 著 より>
☆☆ 惚れた人物には、知行の半分をさしだす ☆☆
豊臣秀吉に寵愛された石田三成が近江水口城(滋賀県水口町)を与えられて、
初めて二万石の大名に取り立てられたときのことである。
秀吉が、
「城持ちになったからには、さぞかし多くの家臣を召し抱えたことであろうな」
と訊ねた。
それに対し三成は、「島左近一人を召し抱えました」と答えた。
島左近友之のことは秀吉も聞いて知っている。
と筒井定次の家臣で伊賀上野城公(三重県上野市)を預かり、
世に聞こえた兵法家だった。
酒色に溺れる定次を見限って諾国を巡歴しているうち、
天下統一に取り組む秀吉の威風を慕って仕官しようと考えた。
そこで三成のところへやってきて紹介を依頼したのだが、
三成は左近の非凡な才能に惚れ込み、上客として遇しながら、
ついに自分の家臣として招聘したのである。
「あの島左近ほどの者を、
どうしてお前のような小禄の者が召し抱えられようか」
と秀吉が訝しむと、「一万石で召し抱えました」という。
聞いて秀吉は、
「主君と家臣が同じ禄高とは前代未聞のことだ。
それくらいの志がなければ、
左近ほどの者がお前に仕える気にはならなかったろうな」
と感心したという。
左近は禄が高いのに釣られて三成に仕えたわけではない。
あくまでも三成の気風に惚れたのである。
それが証拠に、のちに三成が佐和山(滋賀県彦根市)二十一万石余を領したとき、
左近に加増しようとしたが、左近は、「他の方々に賜われ」と固辞している。
そんな左近を当時の人はこう称した。
「三成に遇ぎたるものが二つあり、島の左近に佐和山の城」
家臣に自分の俸禄の半分を与えたという話は可児才蔵にもある。
討ち取った敵の首の口に笹の葉を含ませて目印にしていたというので、
笹の才蔵の異名がある。
豊臣秀吉と徳川家康が戦った長久手の合戦で、
秀吉の甥秀次に従って戦ったが、
秀次が敗北した責任を問われて浪人した。
その後、福島正則に七百石で召し抱えられたが、
そのとき竹内久右衛門という家来に三百五十石を与えている。
永年仕えてくれた恩義に報いたのである。
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いかがだったでしょうか?
まず、与えること・・・。
Give&Takeという言葉もありますが
Give&Giveが本来の姿であり、
その結果としてTakeがあるのかも知れないですね。
自分が御所の様に大事にしているものこそ
与える事によって新たなものを手に入れられるのかも。
では、また来週!