サントシャペルを見学し終えて
次に向かうは「コンシェルジュリ」

ここは昔の監獄。
あのマリーアントワネットが
死刑執行まで過ごした場所です。


兵士の待機所、ここで食事もしたりしてたそう
{B67FC400-17EB-4738-A2BF-EE98D1B1B654}


マリーアントワネットをギロチンにかけた
シャルル・アンリ・サンソンもここに来たのかな?



シャルル・アンリ・サンソンはパリの死刑執行人の頭領だった人なのですが、バスティーユ事件を知った事をキッカケに、マリーアントワネットから辿り着いた人物なのです。

囚人と深い関わりのある人なのです!



(★_★)キラーン!
勝手に語り始めるスイッチオン!

シャルル・アンリ・サンソンとは
パリの死刑執行執行人でした。

さらに執行役の頭領でもありました。
この死刑執行人の頭領のことを
「ムッシュド・パリ」と言います。


アンリはサンソン家の4代目。
こんな感じです↓
{B091DB39-5D50-4228-B15F-60524A509E2E}

で4代目
{C02CCD7B-9C5A-4BDD-B011-1E4FDF02C47E}

ルイ16世やマリーアントワネットなど
多くの処刑に関わったそうです。


このサンソン家、代々「ムッシュドパリ」を世襲してきた訳ですが、職業が職業だけに公務員であっても世間からは相当な冷遇があったみたい。

4代目のアンリも素性を隠して学校に通っていたけど、途中で処刑人の息子である事が学校にバレて退学になったそう。



でも誰かがやらないといけない仕事。



でアンリは死刑制度がなくなれば
もう自分は人を処刑しなくていいと思い
嘆願書も出したけど受付てもらえなかったとか。




ならばせめて、苦しませず、ひと思いに……

で生まれてのが「ギロチン」です。

当時は斧や剣で「断首」をしていたため
振り下ろした剣がポイントを外れると
罪人が苦しみます。


この苦しみを解決するために造られたものだったんですね。


※明治大学博物館日本展示されてたやつです。
{5C75F9FE-C17C-4EF8-849A-2B752ADA2128}

こんな恐ろしい物よく思いついたな、と思ってましたが、実は慈悲の心から産まれたものだったんですね。

物事を掘り下げていくと
意外な事実にぶち当たる。
史実って興味深いですよね。


バスティーユ事件からマリーアントワネットを経てシャルル・アンリ・サンソンに辿り着く、私の脱線ぶり(笑)



サンソン家は医者としての生業もしており
アンリはどの身分の人も分け隔てなく治療したそうです。

自分はめちゃめちゃ偏見を受けてるにも関わらず……(´;ω;`)



当時は「処刑=娯楽」て風習もあって
見物人が多かったそうです。
現代では考えられないですね((((;゚Д゚)))))))




牢獄は身分によって部屋の質が全く違います。
貴族などの金持ちが入る牢獄↓
{61B70720-F879-4AE3-B73B-5ABBB84C6C26}




商人などお金持ちが入る牢獄↓
{B309B605-9253-4883-898F-0FD6495AD553}



貧乏な人が入る牢獄
{A75A48F9-5F26-4CD7-B9C3-178A0C2F4B4A}

藁が敷かれてあるだけです(´;ω;`)


やっぱ世の中、金次第なのか………。

↓1700年代ころの処刑の記事(多分)
{0D86BEAC-4F18-4D9A-98F6-F81456D745F2}

アンリの父バティストは7歳でムッシュドパリに就任したらしいんだけど、全ての刑の執行は頭領の同席が必須だったらしく、こういった拷問も全て見て育ったとか。





順路の最後はマリーアントワネットが過ごした牢獄。
{E84E8130-2124-4BEA-8697-066C2532DA54}


牢獄で過ごしていた時の肖像画↓
{8DD243D7-72D7-4246-970D-AA158F67373A}



マリーアントワネットも時代と家柄に翻弄された人です。

明日はヴェルサイユ宮殿に行くので
彼女の人生に想いを馳せながら見学してくるぞーーーーー。


🇫🇷🇫🇷🇫🇷🇫🇷🇫🇷🇫🇷🇫🇷🇫🇷🇫🇷🇫🇷


時々ブログに出てくる

ちょっと気持ち悪いイラストですが、

一応私の分身でして(笑)

ザワ子と言います。

LINE スタンプになってますので、

興味のある方は……ざわざわ。