育てることは、協力することではないかな。育てると食事の時に、いただいた命に感謝の気持ちが湧いてくる。私は子育てしたことがないけど、生き物を育てていて、周りの人が会話をしているのを見て そう感じることがある。

 

だから 育てている生き物が 優しい気持ちを持っていて、それを否定することは

育てているのではなく それは生きる希望を失わせることを相手に積み重ねているだけだから 虐待になる。

 

人間に生まれて 大きい体とお金があって、たくさん知恵を交換できる時代になった。役に立つことを肯定すれば、健やかに生きることを周りに伝染させていけるのに お前は役立たず お前に何も使えないようにすると賢い生き物だからこそ特徴を利用し 命を活かすどころか削ることをして その人は育てているといって虐待をしている。

 

人間以外の人間と同じく感情を持ち 優しさも行動する賢い動物が、お金が使えないだけ人間みたいに喋れないだけで 虐待をされている。環境に恵まれれば自由度が高い生き物が利用されている。

 

育てているつもりの自由を奪うだけの虐待者は、育てられている人。

 

親としての心配事は大切な命だから感じると思うけど、協力するつもりで今はできない だけど安全なこっち(個性を伸ばすこと)はサポートするというように、マイナスだけではなく 育てている生き物の個性を大切にして人間なら気持ちを大切にすることが 育てているということ。他の生き物なら環境を大切にするプラマイゼロにするのが 育てるということ。

 

人は体が大きくて自由に金が使えて選択肢が多い生き物 それだけ。

それだけ弱っている生き物の希望になって役に立てる。

 

気持ちが浮かなかったりするけど、今日も 頑張って掃除をしよう。フットワークを軽くして 大切なことに集中できるように行動しよう。 頑張って少しでもいいから仕事情報を検索してみる。私にとっては とってもきついこと。育った家庭環境が良くないので 社会的不安が大きい方だと思う。五分からでもいいから 頑張ってみる

 

 

多くの生き物が、環境に恵まれてほしい。 心優しい人が 命を役に立てたいと常に思っているから、心ある人と住めるようになってほしいと願う。