★ブログのタイトルを変更しました。

今後、特に大切にしてゆきたいコンセプトを中心に据えた題としました。

あなたがあなたを慈しむ7のルセット - 自分を大切にするための占星術・レラストロロジー -

今後とも何卒よろしくお願い致します。

 

併せて、ここでは黒河れらのこれまでについて、可能な限りありのまま記します。

こういうやつだったんだ、とちょっとでも感じていただけましたら幸いです。

 

 

幼児のころ

 

ものごころついて最初の記憶は、昼でも暗い家で独りで留守番をしていた3歳ごろのこと。

空腹のあまり、クリープの瓶を無我夢中でこじ開け、ひと瓶舐めたらえらい腹痛になった。

当時、家は借金とりに追われ、父はまともな仕事をしないわ暴力をふるうわで、母は昼夜なく働きづめだった。

自分は幼稚園時代から11歳までずっと、「なんでうちの親は離婚しないんだろう」と考えて暮らした。

これを占星術的にいえばまあ納得で、わたしのネイタル=太陽土星コンジャンクション・月冥王星オポジションが端的にみてもよくわかる。火星冥王星もスクエアだし。

 

日々の楽しみはもっぱら空想と読書。

同年代の幼児と遊ぶのがいっとう苦痛で、園でのおゆうぎやままごとは嫌いだった。

父方の祖母がよく絵本を読んでくれたり、絵画や詩吟など自分らの日常とはまったく異なるゆたかな世界があることを示してくれたことには、今も感謝している。

 

小学生のころ

 

小学校へ上がって間もなくして、不登校気味になる。

まず画一的に過ごす学校の価値観になじめなかったし、集団行動も「みんなと一緒」も、友だち100人~みたいな考え方も全てが苦手で、中でもプール授業がものすごく嫌だった。

確かに自分は泳げないが、泳げるようになりたいなどと一言も頼んじゃいない、にもかかわらずなんで全員泳げるようになることを自動的に目指すって決まってるのか? という軋轢が凄まじく、しかしそんなことを主張などできず、仮病を用いてプールを、そのうち学校自体を休むようになる。

わたしの月星座は牡羊座(5室)だが、月の年齢域をちっとも楽しめない鬱屈した子ども時代だった。

母は車で引きずってでも登校させようとし、毎日殺伐とする。

 

小学4年生から完全に登校できなくなり、日々家に閉じこもり「もう自分はこの先なんの可能性もない、終わった」と思いながらひたすら人目から隠れて暮らす。

読書とゲームと、小説を書くことだけが喜びだった。

 

小学6年生の春、紆余曲折ののちにやっとこ母が離婚を決意し、トラックを借りてきて夜逃げすることになる。

このころから、タロットカードなどを使うようになる+夢占いなども興味を持って調べていた。

 

中学生のころ

 

中学の校則に合わせ、幼児のころから切ったことのなかった髪をばっさりと切ったが結局学校へは行けないままだった。

毎日が現実逃避と絶望の繰り返しで、消えたいとまで思っても、そうしたらそれもまた母に迷惑がかかってしまうと想像すると決行もかなわず、ただただ苦しかった。

星からいってもネイタルの12室太陽土星合の上をトランジットの冥王星がずーーーーーーっと追いかけてきていて、ほんっとうに閉塞と忍従ばかりだった。

 

転機が降ってわいたのは中学2年のころ。

母が当時まだ珍しかったフリースクールの存在を知り、そこの代表の講演を聞きにいき、「不登校は悪いことではない」という考え方を初めて理解してくれた。

わたしは、そこに行きたいと望むようになり、中学2年の終わりに全寮制のそこへ入った。

これが強烈な転換点になる。

それまでの鬱々としていた歳月が帳消しになるくらい、毎日がエキサイティングで面白くてしょうがなかった。

そしていろいろ羽目もタガもはずした。

未成年がやってはいけないとされていることのいくつかを、どんどんじゃんじゃんやった。

典型的な田舎娘の常として(?)男絡みの失敗もいくつもやらかした。

それでも、毎日が輝いてみえた。

 

10代後半

 

やらかし暗黒期は続く。

反抗して世話になったフリースクールを飛びだし、しばらく無茶をやる。

 

好きになった男のことで荒れて、何もかもぶち壊しにするようなことをしでかしたあげく、しばらく音信不通だった父が立ち上げた怪しい事務所をなぜか手伝うと決め、父のところへ転がりこんでにわか事務員になる。

それから幾月も経たないうちに、父を欺いて惚れた男のところへ飛びこみ、1年近く同棲した末にそこも自分から逃げだす。

こうやって振り返っても「何がしたいんだ???」と己のクズさ加減に嫌気がさすが、当時はなんだかわからないけどただ必死だったような気がする。

 

そののち、結局フリースクールの代表に謝り、住み込みで働きながら学習させてもらえることになる。

 

20代

 

24歳までずっと激動期。

また男関連でやってはいけないことをやったり、自分の感情・衝動の激しさを自分で飼い慣らせないまま人に八つ当たりばかりしていたように思う。

そうしたら仕事で、というか当時の職場の人間関係でその報いを受けるような格好になり、その職場を辞めてもう今度こそ命を絶つことを考えたとき、「本当にやりたいことをしよう」と突然思い、「自分の店を持ちたい」と決める。

すると、その年のうちに・あれよあれよという間に、引っ越してカフェを経営できることになる。

自分には何の人脈も資産もなかったが、本当に奇跡のようにすべてが繋がった。

 

25歳から、母方の祖母の介護のために実家へ戻る。

車の免許をとり、在宅でできる仕事をしつつ、介護の日々。

 

20代後半、何がきっかけだったかもう思い出せないが、スピリチュアルなことや心のことを発信している人のブログにたどり着き、最初は「うさんくせえな」としか感じなかったものの、だんだんとさまざまなことを思うようになる。

そうして、セラピーの世界に入り、また、不登校に関する事柄を当事者視点で発信・活動しはじめる。

 

2013年に祖母が亡くなり、そのあとくらいから自分でホロスコープを見るようになる。

 

30代

 

30代も激動で、でも充実していて、苦しい時もあったが昔より生きやすく=息がしやすくなった感覚だ。

まだまだ、さまざまなことに課題は多く、難しさをおぼえる折もたくさんある。

今は火星の年齢域だが、本来、自分の火星は2室山羊座で非常にポテンシャルが高い──しかし、一筋縄ではいかないあれこれも抱えている。

今もなお、ソーラーアークの冥王星は1室にいるし……

 

でも確実にひとついえるのは、2017年2月に「星を愛でる」を始めて、自分にとってそれもとても大きな転機だったということ。

「星を愛でる」からいくつもの豊穣なご縁をいただけて、それは今もで、すごく感慨深い。

 

 

いろいろなことがあったけど、生きてきてよかった、生きてこられてよかったと、いま、改めて思う。

 

 

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