久々に親父の戯言をつぶやいてみようと思う。
単なる戯言です(笑)
小学生が説けるような文章問題が目の前にある。
その文章問題を見て、子供はすぐに答えが出る。
しかし、大人の自分達には、なぜか解けない。
何故か?
問題に対して、「複雑に考えてしまう」からだ。
例を挙げてみよう。
誰が好き?と子供に聞いてみる。
○○ちゃん。
同じ質問を、同世代にしてみる。
まず出てくるのは、え~誰だろ。誰もいないよ~。とかの濁し系。
この時点で、発言に対する答えの、利害関係を計算しているだと思う。
X+Y=Z
これに当てはめると、子供はこんな感じ。
可愛い+優しい=好き
んでは大人。
カッコイイ(長所-短所/感情)+優しい(職業+学歴+年収-α/生活)=好き
ってな感じで、問題を複雑化してしまう。
何となく意味がわかってもらえるだろうか。。。。
結論ってのは、「自ら導き出すモノ」であって「他人から強要されるモノでない」
考える過程(論理)ってのは、今まで過ごしてきた生活や経験に比例する。
誰かに言われて解決できるような問題は無い。
言われて、「そうだよね」と受け入れた時点で、自分のキャパにあてはめているはず。
当てはめたからこそ「する」のであって、出来ないとわかっていればやらない。
またちょっと例を挙げてみよう。
期間は無期限。結論出すまでは実費。賞金は給料の6ヶ月分。罰金は給料の2ヶ月分。
今から宇宙に行って宇宙人捕まえて来たら賞金出します。ダメだったら罰金。
→当然無理。
今から、その辺で大人の野良猫捕まえて来たら賞金出します。ダメだったら罰金。
→出来るかも。
んでも実際、野良猫を捕まえることなんて出来ますか?
警戒されまくりの猫を捕まえるなんて、すぐにすぐ出来ることじゃないよね。
でも、出来る人も居る。だからこそ、「選択肢」が存在するわけだ。
ここが、自分のキャパの選択肢になる。
捕まえれば大儲けだ。んでも失敗すれば大損だ。
大なり小なり、いつも人生の分岐点と言うのは、そうゆうモノである。
1週間で辞める人もいれば、1ヶ月や6ヶ月粘る人も居るだろう。
それは、投げ出したり、捕まえ方を見つけたり、餌付けしてるかもしれない。
方法はさまざまだ。結局、人それぞれ導き出す過程が違うことに気付かなければならない。
失敗して「あなたのせいでこうなった」と思う人もいるだろう。
本当にそうなのか?
結論出したのは「自分自身」ですよね。
責任転嫁をするような考え方では、一生その壁は越えられないと思う。
結局は、越えるまで努力する姿勢が大切だと思う。
参加表明をし、参加した後に、ダメだと思って辞めることや、
投げ出すこと自体は悪いんじゃない。
寧ろ「自分自身には無理」と結論付けたのは、
それなりに評価できることだと思う。否定するつもりはない。
ただ、投げ出した後の問題を「参加以前に考える」コトが大切である。
問題は、必ず肉付けされて自分に返ってくる。
その問題が、自分のキャパ(起こりゆる想定内の問題)内であればいいわけだ。
キャパ以上のことをするからこそ、自分にとって、倍返しでしっぺ返しが来るのだ。
生きてく過程では、答えを出すことがいっぱいあると思う。
その答えが、後から考えれば失敗だったなんて、ざらにある。
んでも、そんなことで悩んでたら、次のステップなんて一生進めない。
だからこそ、自分は思う。
前を向いて生きたい。って。