自分自身すっごい未熟だけど、それでも、暖かく見守ってくれてる方々、
本当に感謝しています☆
今日は、設立前の自分の悩みをぶり返しながら、カキコします。
※当時のコメントを流用しながら書き込みしておりますので、
多少乱雑な部分がありますことを、予めご了承願えると幸いです。
会社員だった自分は、ある程度の立場に居て、複雑な心の悩みを抱えてました。
生きるってことは、本当に大変なことだし、ムツカシイことだと思います。
きっと、このブログを読んでくださってる方々も、同じ感じをお持ちかも知れません。
呼吸してれば生きてる。それは「絶対的」なことであり、当然である。
でも、それを誇示して、自身を前に押し出して、生きている自分自身は、
非常に「ナンセンス」だと思ってました。それは間違いない事実です。
では、なぜ私は、現実から逃げているのを認めないのか?という話になります。
私の自己分析を、おそらく「ある出来事を境」に理解していると思います。
この「ある出来事を境」って言葉が、非常に重要な意味を持ちます。
ブログを読んでくださってる方にひとつ質問をさせて頂いてもよろしいでしょうか。
↓
「対」人に対して、自分自身を大きく変える出来事ってなかったですか?
人生は、死ぬまでに多くの「出来事」のフローチャートを得て、人生の終期を迎えます。
ただし、正直のところ、一番初めの感覚的イメージとして思うのが「大人」です。
自分自身が、物事に対して一線置くようになった出来事ってないですか?
なんとなく、伝えづらいのですが、「大人になったんだな」って思った瞬間というか。。
あ~自分が子供「だった」なって思う瞬間っていうのかな。。。
でもさ、その瞬間って必ず、何かしらの出会いと言うか、
自分を肯定してくれた恩師がいると思っています。
それが10代なのか20代なのか、はたまた50代なのか、それは人それぞれです。
決して早い遅いっていう、スピードは存在ません。
なぜか?
私は「死ぬまでのフローチャート」ってのが全てだと思っています。
死というのは、性を宿った瞬間から存在していると思っています。
流産してしまった子に対して「生きてくることが出来なかった」なんて思いますか?
流産してしまって「本当にごめんね」って言うことは、私的には好きではありません。
私の考えとして、流産した子供でも、何かしらの意味を持って性を受けたと思ってます。
その子供に対して、可哀想だと思うこと事態、不適切だと思っています。
その子供がお腹に宿ったからこそ変わった現実や、流産してしまったからこそ、
変わった現実もある思います。
それは、自分自身に対して、その宿った子供が、
「自分自身に対してのひとつの分岐点」になった思うことが、適切ではないでしょうか。
性を受けた子が、伝えたかったことを理解してあげることが、
本当の親ではないでしょうか。
0歳で死ぬ子もいれば、5歳、20歳、40歳、、、、とさまざまです。
けど、その命に対して、無意味という言葉は存在しません。
今、この時を生きている全ての人がそうなんです。
人間は、必ず何かの意味を持って生きています。無意味な人間は存在しない。
必ず、何かしら対人に対し、意味を持ち、何かを伝えていると思います。
だからこそ。。。。
無意味な人間なんて、この世に存在しない
と思っています。
すっごい辛いのは全世代共通にあることだし、それぞれの悩みがあると思う。
子供であれ、大人であれ、どんな人にも悩みがある。
その悩みを、人に伝えたり、理解してもらうことは、非常にムツカシイことだと思います。
これは、私自身が今まで生きてきた過程の中だけでも、素直に思うことです。
でも、伝えないとわからないことだってあるし、伝えてみても良いって思わない?
実際に伝えることは難しいけど、文章で伝えるって凄く現代的だけど、良いことかも。
なかなかさ、是非あるとおもうんよ。というのは人それぞれ捕らえ方が違うしね~・・
けど、馬鹿でもいいから、前に進む為には一歩前に出ることが大切だと思います。
私は、本当に自己中で馬鹿で阿呆で、どーにもならん所ばっかりですけど、
私の一言や行動で、誰かを助けれるなら、素直に役に立ちたいです。
きっとご満足頂けるような、回答はないかもしれません。。
だけど、そんなんわかってても、自分なりに真面目に考えます。
でも、真面目に考えても、答えなんてたいしたこと無いと思うけど。
それでも、全力で頑張るお。それが、私がやるべき事だと思ってます。
非常に自分自身、わけのわからん戯言を言っているのは十分理解しています。
ご批判もきっとあると思います。ですから、他の人から言われることに対して
批判する理由なんて、全くありません。
馬鹿な私のお話を読んでくれてありがとうございました。
ちなみに、誤字脱字、意味不明な文章は、自己解釈でお願いします(笑)
少々、お酒が回っている私の、ちょっとした戯言でした(iДi)