高校時代の友達に誘われて、この前の土曜日に京都に行ってきた。僕は生まれてこの方、ずっと大阪に住んでいるので、京都や神戸に対し、行ってもないのに「関西のくせに何を気取っとるんや」という大阪人が抱きがちな何だか分からない劣等感が少なからずあった。しかし、今回直接自分の目で見て、確かに只者ではないことを悟った。だてに千年近く都ingしていない。
なぜ、京都に行ったのかというと、5月末から京都国立近代美術館で開かれている『藤田嗣治展』を見に行くためである。「気取っとるんはお前やー!」というご指摘もありそうだが、好きなもんはしょうがないのだ。もちろん自分で描けるわけではない。むしろ中高の美術の点数は、「自由表現」の課題で『possibility(可能性)』と題して友達と前衛的な(はちゃめちゃな)演奏を録音したテープが何故か満点近く取った時を除き、一律に悪かった。しかし描けないからこそ、上手い絵を見ると純粋に心を揺さぶられてしまうのである。まぁわざわざ絵画展まで見に行くのようになったのは最近である。要するに早い話が気取ってるのである(笑)。 しかし、藤田嗣治展はなかなか良かった。ゴッホ展ほどの衝撃はなかったものの、さすがはパリで認められた唯一の日本人の絵は何かしら心に残るものを持っていた。個展は一人の作品のみを年を追って見れるので、絵を通してその人の人生が垣間見れる気がして好きだ。僕と友達は「ここがいい」だの「微妙」だの素人の物言いをしながら、それなりに満足して、4時半すぎに芸術家気取りで美術館を出た。友達の話では近くの美術館では日本絵画展がやってて、マイナーだがよさそうだということで、居酒屋ならぬ美術館のはしごをするため、歩き出す。二人とも気分は前髪パッツンのマッシュルームカットである。
15分ほどで到着したものの、すでに閉館。早いぜ、そりゃ。残念だが、まだ夕方なので、京都来たついでにそこらへん歩いて京都感を満喫しようということに落ちつく。ではどこに行くかとなり、最初の美術館でもらった地図を見ると、端の方に奇妙な文字を発見する
「哲学の道」
行きてぇ!どう哲学させてくれるだろうか。僕らはとりあえずそこを目指すことにした。
期待を膨らませたものの、「哲学の道」は着いてみると、横に小川の流れる並木道で、物思いに耽る&身を投げるには確かにありだが、少し肩透かしを食らった気分で、途中で柔道着を来た仙人のような爺さんとすれ違ったのと「本日休み」と張り紙された万年休みと思しきさびれきった喫茶店の看板、が救いだった。その後、世界唯一の“振り返ってる!”阿弥陀如来があると評判(と、ガイドに書いてあった)南禅寺に向かう。どうも観光名所らしく、通りに人力タクシーも登場し、外人の姿が目立つようになる。ふと、近くのそば屋の看板を見ると、

「哲学そば」
最高です。とりあえず写真に収める。どんな難解なそばが出てくるのだろう、それとも店主による哲学的なうんちくを聞きつつ、何かの象徴としてのそばを食べるのか…夢は膨らむばかりである。そんなことを話しつつ、まずは南禅寺へ。

南禅寺は予想外にでかい寺であった。普通の数倍はあるかというくらいの建物が3つほど「ドゥン!」×3とあり、そのさらに一回り大きい門が「ドゥーーン!」と構える。なかなかの迫力であった。しかし、その一つの資料館に入ろうとすると、でかい厳格な木造の扉には白い張り紙に一言…
「CLOSED」
もはやカフェ感覚である。「仏閣Cafe」なるものがあるなら、こんな感じなんだろう。しかしどうやらここら辺はどこも5時ごろには閉まるらしい。残念だが、そうは行ってもなかなか歩くだけでも楽しいものである。寺の敷地内を一回りして、もと来た三条駅に戻る。途中どうしても「哲学そば」が気になり、思いきって店の扉を開くが、誰もおらず、奥の方から顔も出さずに「五時まで!」と半ギレで言われる。さすが哲学そばは敷居が高い。しかし、哲学してるなら何故すぐキレるのだろう?この辺りは謎が多い。
その後、ジャズ喫茶と思って入ったジャズBARでオッサン相手に1時間ほど過ごし、四条にある有名な「にしんそば」で哲学しながら(1000円もしたが、うまかった)、帰路に着いた。なかなか有意義なサタデーであった。京都は何でもかんでもギラギラな大阪とは違い、落ちついた品の良いセンスを感じさせるところがよく見られた。住むとなると話は変わるのかもしれないが、また来たいなぁ…くやしいけど。
なぜ、京都に行ったのかというと、5月末から京都国立近代美術館で開かれている『藤田嗣治展』を見に行くためである。「気取っとるんはお前やー!」というご指摘もありそうだが、好きなもんはしょうがないのだ。もちろん自分で描けるわけではない。むしろ中高の美術の点数は、「自由表現」の課題で『possibility(可能性)』と題して友達と前衛的な(はちゃめちゃな)演奏を録音したテープが何故か満点近く取った時を除き、一律に悪かった。しかし描けないからこそ、上手い絵を見ると純粋に心を揺さぶられてしまうのである。まぁわざわざ絵画展まで見に行くのようになったのは最近である。要するに早い話が気取ってるのである(笑)。 しかし、藤田嗣治展はなかなか良かった。ゴッホ展ほどの衝撃はなかったものの、さすがはパリで認められた唯一の日本人の絵は何かしら心に残るものを持っていた。個展は一人の作品のみを年を追って見れるので、絵を通してその人の人生が垣間見れる気がして好きだ。僕と友達は「ここがいい」だの「微妙」だの素人の物言いをしながら、それなりに満足して、4時半すぎに芸術家気取りで美術館を出た。友達の話では近くの美術館では日本絵画展がやってて、マイナーだがよさそうだということで、居酒屋ならぬ美術館のはしごをするため、歩き出す。二人とも気分は前髪パッツンのマッシュルームカットである。
15分ほどで到着したものの、すでに閉館。早いぜ、そりゃ。残念だが、まだ夕方なので、京都来たついでにそこらへん歩いて京都感を満喫しようということに落ちつく。ではどこに行くかとなり、最初の美術館でもらった地図を見ると、端の方に奇妙な文字を発見する
「哲学の道」
行きてぇ!どう哲学させてくれるだろうか。僕らはとりあえずそこを目指すことにした。
期待を膨らませたものの、「哲学の道」は着いてみると、横に小川の流れる並木道で、物思いに耽る&身を投げるには確かにありだが、少し肩透かしを食らった気分で、途中で柔道着を来た仙人のような爺さんとすれ違ったのと「本日休み」と張り紙された万年休みと思しきさびれきった喫茶店の看板、が救いだった。その後、世界唯一の“振り返ってる!”阿弥陀如来があると評判(と、ガイドに書いてあった)南禅寺に向かう。どうも観光名所らしく、通りに人力タクシーも登場し、外人の姿が目立つようになる。ふと、近くのそば屋の看板を見ると、

「哲学そば」
最高です。とりあえず写真に収める。どんな難解なそばが出てくるのだろう、それとも店主による哲学的なうんちくを聞きつつ、何かの象徴としてのそばを食べるのか…夢は膨らむばかりである。そんなことを話しつつ、まずは南禅寺へ。

南禅寺は予想外にでかい寺であった。普通の数倍はあるかというくらいの建物が3つほど「ドゥン!」×3とあり、そのさらに一回り大きい門が「ドゥーーン!」と構える。なかなかの迫力であった。しかし、その一つの資料館に入ろうとすると、でかい厳格な木造の扉には白い張り紙に一言…
「CLOSED」
もはやカフェ感覚である。「仏閣Cafe」なるものがあるなら、こんな感じなんだろう。しかしどうやらここら辺はどこも5時ごろには閉まるらしい。残念だが、そうは行ってもなかなか歩くだけでも楽しいものである。寺の敷地内を一回りして、もと来た三条駅に戻る。途中どうしても「哲学そば」が気になり、思いきって店の扉を開くが、誰もおらず、奥の方から顔も出さずに「五時まで!」と半ギレで言われる。さすが哲学そばは敷居が高い。しかし、哲学してるなら何故すぐキレるのだろう?この辺りは謎が多い。
その後、ジャズ喫茶と思って入ったジャズBARでオッサン相手に1時間ほど過ごし、四条にある有名な「にしんそば」で哲学しながら(1000円もしたが、うまかった)、帰路に着いた。なかなか有意義なサタデーであった。京都は何でもかんでもギラギラな大阪とは違い、落ちついた品の良いセンスを感じさせるところがよく見られた。住むとなると話は変わるのかもしれないが、また来たいなぁ…くやしいけど。