こんにちは、生殖心理カウンセラーの菅谷典恵です。

 

少し気が早い話題かもしれませんが、今回は気持ちの備えとしてこのようなことを考えてみたいと思います。

 

生殖医療の難しい点の一つに「意思決定をする人と生まれてくる当事者が不一致」ということがあります。体外受精をする決断はご夫婦がされますが、それによって生まれてくる子どもの意思は反映されていませんよね。しかし、子どもにとって「体外受精で生まれたこと」は自分の出生の事実ということになります。

 

そもそも生まれてきたいかという希望を本人に尋ねられないのは当然なんですよね。たまに「子どもを欲しいと感じることはエゴではないだろうか?」ということがカウンセリングで話題になりますが、本人の意思はいかんせん尊重出来かねる部分なので、子どもを生むということに若干のエゴを感じたとしてもある意味健全なことなのではと思います。

 

児童福祉の世界では、養子や精子・卵子提供によって生まれた子どもたちは、2~3歳の頃から少しずつ自分の出生について知っていくことが望ましいとされています。幼いうちから知っていた方が、抵抗感なく受け入れやすいことがわかってきたためです。思春期以降に知らされる方が衝撃が大きく、本人も受け止めるのが大変です。アイデンティティが確立される前の方が、自分の中で受け止め折り合いをつけることができるのだと思います。

 

これをそのまま体外受精の話に当てはめるのは性急かもしれません。何が正解かを見極めるのはなかなか難しいです。

 

まずはお二人で、子どもに伝えたいか?伝えたくないか?ということを話し合う必要がありますよね。伝えたくないなと感じる場合、ご自身の心の中に「治療を受けなければならなかった」という傷つきが解決しないまま存在していることも考えられます。古傷に触りたくないな、という感じです。それも当然かもしれません。

 

避けたいのは、子どもが両親以外の人から体外受精で生まれたことを聞くことです。おじいさんやおばあさんが話してしまうこともあるかもしれません。そこにはご夫婦が望んでいない偏見的ニュアンスが含まれている可能性もあります。子どもが自分自身をネガティブに捉えてしまうリスクは排除しておいた方が良いと思います。

 

いずれにせよ、子どもが育っていくにあたり重要なことは「望まれて誕生し、両親(養育者)から絶対的に存在を認められ、安定した愛情を注がれていること」です。このようなスタンスでの関わりが子どもの自尊心を育みます。

 

幼いうちは日々の親子間のやり取りの積み重ねの中で、子どものパーソナリティーは形成されていきます。親の思考や態度というのは子どもに浸み込んでいくことになります。

 

こうしたコミュニケーションを取る中で、子どもに伝えていないことがあると「なんか申し訳ない事をしているような気持ち」を持つことがあります。そのような場合はお話することを検討するのも良いと思います。

 

(後半に続く)