日本は世界で最も妊産婦死亡率(=母体死亡)が低い国の1つであり、おおむね出生10万あたり5人(約0.005%)、年間40人強です。これを多いとみるか少ないとみるかは色々感じ方もあると思いますが、率で言えばほとんどないように見えるし、いくら減ったとは言え年間出生数は100万人弱(コロナでその後さらに減ったが)おりますので、実数を見ると意外と多いなと思った方も多いかもしれません。

 

発展途上国だと10万あたり1000人以上(1%以上)で日本の200倍の死亡率です。この数字を日本にあてはめたら、毎年8000人以上が出産で亡くなっている計算になります。こう考えれば日本の周産期医療が優秀であることがお分かりいただけるかと思います。

 

母体死亡の理由は様々ですが、産後の大出血、脳出血、羊水塞栓などが上位です。あまり具体的なことを書いて恐怖をあおることは控えますが(これでも抑えて書いているのですが)、それなりに経験を積んだ産婦人科医であれば、あわやという事態に足がすくんだ経験は誰にでもあるはずです。それが出産というものです。

 

多胎になればそのリスクは倍増以上になり、産婦人科医は、多胎が故のさまざまな出産を経験し、見聞きしています。実際に多胎になった時、リスクを負うのは妊婦さん本人だけではなく、妊婦に何かあれば、夫も、すでに子供がいれば子供も、両親も困るわけで、妊婦本人だけがリスクを理解すればよいわけではありません。もちろん産科チームは安全なお産になるように全力を尽くし、安全な出産になることが大半であり、双子はかわいいし、希望をおっしゃっていただくのは自由なのですが、不妊治療で「双子希望」とか「多胎のリスクは承知」などと言われた産婦人科医が返答に窮してしまうことはご理解いただきたいと思います。

 

いずれにせよ、太古の昔は出産で数%以上の確率で妊婦さんが命を落としていたわけですが、胎児は生存していることもあり、母体から胎児を取り出すことは行われていました。これが帝王切開の発祥と言われています。

 

なぜ帝王切開といわれるかについては、カエサル[シーザー]が帝王切開で生まれたことから、cesarean section(帝王切開)になったのだと俗に言われていますが、とりあえずカエサルは帝王切開で生まれたというのは嘘らしいです(語源は諸説あります)。業界用語では私たちの世代はドイツ語のKaiserschnittから「カイザー」といいますが、C/Sをそんまま読んでシーエスということもあります。医師の専門用語についてはこちらの過去ログを(11月とラテン語とドイツ語と)。


 

最近だいぶ減りましたが、経腟分娩神話みたいのがあって、下から生んだ人が偉いとか、お腹を痛めて下から生むから愛情がわくとか、そういうこと言う人がいます。心情的にも分からなくはない、しかし帝王切開がなかった時代や緊急帝王切開の準備に時間がかかっていた時代にどれだけ母体死亡や胎児死亡が多かったことか、緊急時に1分1秒でも早く帝王切開できるように、各病院やクリニックがどれほど設備投資をし、どれほど血のにじむような努力をして日本の安全なお産を維持しているのか、なー---んもわかってない。帝王切開だって立派なお産だし、愛情いっぱいに育つ子はいっぱいいるんじゃ!立派なお産をしたお母さんにケチをつけるようなヤツに愛情など語る資格ないわ!

 

・・・すみません、気持ちが高ぶりました。母乳神話もそうです。母乳が愛情いっぱいで、ミルクで育てるのはちょっと・・・みたいな。そんなの迷信でしかないのにね。私もミルクで育ちましたが何か??と申し上げると、大体の方はそれ以上何もおっしゃいませんが、こういう根強い迷信が一人歩きして、なかなかなくならないものです。

 

話を戻しますが、帝王切開の主な理由としては、前回までのお産が帝王切開だった場合、筋腫の手術歴がある場合、逆子(骨盤位)、児頭骨盤不均衡(骨盤に対して赤ちゃんの頭が大きい、骨盤が小さい場合と赤ちゃんが大きい場合の両方がある)、赤ちゃんが具合が悪くて緊急で出さなければいけない場合などが帝王切開の代表的な理由となります。予定帝王切開はよいのですが、緊急帝王切開は、その緊急度によっては病棟に一気に緊張が走ります。

 

一方、帝王切開を1度しているとその後のお産も子宮破裂のリスクを避けて帝王切開することが多いです。このことをTOLAC(Trial Of Labor After Cesarean)とか昔はVBAC(Vaginal Birth After Cesarean)と言ったりもしました。筆者の本音は、帝王切開経験があるのなら、素直に次も帝王切開すれば無事に出産できることは分かりきっているではないかと思いますが、経腟分娩をしてみたいという気持ちは妊婦さんにもあるようで、その気持ちも分からなくはありません。あくまでも安全が担保できる施設(いつでも即緊急帝王切開ができ、万一の体制が整っている)であればチャレンジは可能ですが、どこでもできるものではありません。いずれにしても母児の安全が大前提で、希望はその範囲でのみ叶えられるべきです。

 

世の中の帝王切開率は、少ない施設で1割程度、大学病院などの施設では3割以上だと思います。もちろん、無用な帝王切開はいけませんが、産科チームのたゆまない努力のもと、今の日本のお産は守られているのです。

 

筆者はもう産科から離れてだいぶたちますが、血気盛んな若かりし頃に思いをはせながら、帝王切開についてお話してみました。次回もお楽しみに!