文学フリマへの道! -14ページ目

文学フリマへの道!

ここでは同人誌作成までの日々と、各メンバーの好きなことを記事にしていこうと考えています(´・ω・`)
文学だとかマンガだとかアニメだとかゲームだとか音楽だとか


こんばんは、鳴向です。
寒くてキーボードを打つ手がかじかむ……ブルブル

さて、今日はお知らせが二つありますー。
まず一つ目。
数か月前にえっちらおっちら書いた、repro1号「存在」の中のお話を、今日から期間限定で順次「小説家になろう」内で公開していきます。
アドレスはこちら。
http://mypage.syosetu.com/396716/
お試し版として自分の書いた分を一部アップしております。
これから1日置きに更新していく予定ですので、どうぞご高覧くださいませー。

そしてもう一つはお知らせというかおねだりなのですが、よければ「なろう」内かこちらのブログのコメント欄に、一言で構いませんのでコメントをいただけますとメンバー一同泣いて喜びます(笑)
近々サークル会議も計画しておりまして、いただいたコメントは今後に活かせるよう真摯に受け止める所存です。
何卒よろしくお願いいたしますー!
こんばんは、鳴向です。
あっという間に12月らしいですね。
心の中で作った締切をブッチしすぎてて非常にマズいです。
何かしなければ何も起こらないのだから、頑張ってアクション起こしていきたいですね。

さて、こないだ思い出して懐かしい本を引っ張り出してみました。
「ブギーポップ・オーバードライブ 歪曲王」です。
自分がライトノベル読み始めたころ市場を席巻していたのがブギーポップシリーズでした。
懐かしいとか言ってしまいましたが今も続刊出てるんですよね。
自分は序盤の数冊を読んだところでキノの旅とか他のシリーズに目移りしてしまって読破はしてないのですが、その読んだ中で、振り返って一番好きなのがこの「歪曲王」かもしれません。
他に「パンドラ」とかも気に入っていたんですけど。

「歪曲王」は、シリーズ第一巻「ブギーポップは笑わない」の直接の続編となっています。
「~笑わない」は、偶然にして「世界の危機」と関わってしまった人たちの話でした。
物語の終わり、騒動が収束していく中、登場人物たちはもとの日常へと帰っていきます。
話の中では、そう描かれています。
けれどそれは本当に元と同じ日常なんでしょうか。
世界の危機なんてものに遭遇して、日常を逸脱する存在に触れて、本当に正しく日常に戻ることなんてできるのでしょうか。
できる人もいるのかもしれません。
非日常に接することで日常の大切さを思い知る、とかもありますし。
でも、自分は無理かもしれないって思います。
一度非日常の世界を知ってしまったら、どんな形であれ、知らなかった時には戻れない。
何かしらの形で、歪んでしまうのではないかって思います。
「~笑わない」の中で、そうとは知らず世界の危機に巻き込まれ、翻弄されながらも等身大で誠実に向き合った登場人物も、そうでした。
人智の及ばない存在によってもたらされた騒動の影響によって、その人物は歪んでしまいます。
そしてその歪みが、ブギーポップの新たな敵、「歪曲王」を生み出したのです。

歪曲王は、世界の敵になるかもしれない存在であるとして、ブギーポップと相対することになります。
歪曲王を生み出した人物の境遇は、確かに特殊なものです。
ですが、「歪む」ということ自体は、そんなに特殊なものなのでしょうか。

つい最近どこかで、「物語を書くということは、世界と自分との歪みを明らかにすることだ」というような記述を見かけました。
どこで見たか全く思い出せないのですが、すごくハッとさせられました。
そこでは、日常を生きていると、だんだんと周囲に合わせるよう矯正させられていくけれど、文章の中では自分の歪みをそのまま表現することができる、それがいい、という旨のことが書いてあったと記憶しています。

そうだとしたら、確かに歪曲王は世界の敵かもしれません。
けれどわれわれ、一応字書きの端くれは、心の中に歪曲王を生み出さないといけないのでしょう。
いつか自分だけの歪曲王が生きる世界を作り出せるよう、精進しようと思った次第です。
それでは。

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こんばんは、ご機嫌麗しゅう、鳴向です。
週一くらいで何か書こうと思っていたのですが、随分時間があいてしまいました。反省。
今回はいつも以上に長くて個人的な話になりそうなので、それでもいいよって方のみ続きをどうぞ。

お話したいのはコレ、「おとめとメテオ」
少女マンガってあまり読まないのですが、たまに手に取りたくなります。
この作者が前に描いていた「お迎えです。」とか「天然パールピンク」とかも好きでした。
裏表紙のあらすじはこんな感じ。

お前は私の「妃」として選ばれた――
通称「不運の女王」、不幸体質の女子高生・夏野葉子(なつのハコ)。
彼女の前に、全裸の男子が降ってきた!!!
宇宙人のイオは全宇宙でもっとも波長の合うハコと子作りするために地球にやってきたと言うが…?

いいですねーこういうの、すごく好きです。
と言ってしまえば全てなのですが、なにが「いい」のかちょっと考えてみました。

なんとなーく昔から、「選ばれたい」っていう思いがずっとありました。
それは、人口の半分を占める異性から告白されてお付き合いして、他人ながらあなたとの生活を引き受けますよという契約を結ぶこと、つまり恋愛と結婚を通して成就すると思い込んできました。
でも、本当にそうなのかな? って最近思います。

「いいなぁ」って気持ちは、ある種の「人間ではない」生き物と心を通わす物語に心惹かれるときに感じてきたものでした。
例えば「モスラ3」の映画で、モスラと小美人の一人であるモルに選ばれる、主人公三兄弟の長男を見たときとか。
同じく映画の「ガメラ3」で、怪獣イリスに魅入られた主人公綾奈を見たときとか。
アニメの「デジモンアドベンチャー」で、世界を変えるデジモンたちに選ばれた、その名も「選ばれし子どもたち」を見たときとか。
見識の狭い自分に思い付くのはこの程度ですが、こういうのを見たときに強く「いいなぁ」って感じます。

モスラと対面した長男に、モルは「モスラはいい人と悪い人を見分けます」と言い、そしてモスラは長男がモスラに触れることを許しました。引きこもりで臆病な少年として描かれていた長男の、本質、というかその本質の良さをモスラやモルが見抜いたのです。
イリスは、ガメラを倒すための力を蓄える間の育ての親として、親の仇であるガメラを強く憎む綾奈を選びました。外見でも面倒見の良さでもなく、本来は忌まれるべき心の性質であるはずの憎悪が、選ばれた理由なのです。
そして選ばれし子どもたち。彼らは崩壊しそうなデジタルワールドを助けるため、その心の性質によって選ばれました。けれど子どもたちの中には積極的に世界を救おうとする子だけではなく、心に闇を抱えた子や、戦いを厭う子もいました。それでも、デジモンたちは選ばれたパートナーに寄り添い、成長していきました。

彼らは人間ではないし、人間の文化を持たない。だから恋心も持たないし、性行為だってない。
彼らの「選ぶ」という行為には裏表がない。(イリスは綾奈を利用しようとしたという面では微妙ですが、綾奈とどうこうなろうとして選んだのとは違うはずです)
童話の王子様みたいに、美しいからとか、家事ができるからという理由で選んだわけでもない。
そもそも異性だから選んだというのですらない。
ただ相手の心を見て選んだ。
そういうところがすごくいいなぁって思うのです。

さて、前置きが長くなりましたが翻って「おとめとメテオ」の話。
イオは宇宙人で、ハコと「交配」するために宇宙からやってきました。
最初はそのものズバリ子づくりを目的としていたイオですが、ハコや周りの面々との交流によって、地球には「恋愛」というルールがあることを知り、地球流でハコと結ばれることを望むようになっていきます。
その過程で起こるすったもんだが予想されるところで一巻は終わっていますね。
少女マンガなので最終的には、二人の関係はやっぱり「恋愛」というテンプレートに落とし込まれていくことになるのでしょう。
けれどそこにあるのは常識まみれの恋愛ではなく、イオという異星人に異化された恋愛であり、イオは恋愛という枠を利用しつつも、本質的には地球のルールに縛られずにハコを選ぶ(ことになるはず)のです。
あー、やっぱりいいなぁ。

途中で地雷に化ける可能性もなくはないですが、一巻を読んだ段階では「いいなぁ」と強く思ったので、今後の展開にもすごく期待しています。
よければ一度お試しください。

なんでぇシンデレラコンプレックス拗らせてるだけじゃんって思われるかもしれませんが、自分は足のサイズだけで判定されるような選ばれ方はまっぴらごめんだと思うのです。
それでは。

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