前回の記事を書くために『相撲』誌1983年名古屋場所総決算号をめくっていたら「そういえば、こんなこともあったなあ」という記事が出ていたので、ちょっと振り返ってみたい。

初っ切り栃湊の「変則相撲」

事が起きたのは、二日目。幕下での、栃湊と扇鳳の一番。

 

栃湊は体重80Kgという軽量のソップ型力士。同じ春日野部屋の栃纏との初っ切りコンビで知られていたが、この栃纏の方は170Kgを超えるアンコ型。凸凹コンビぶりが可笑しかった。

栃湊/『大相撲』(読売新聞社)1981年名古屋場所総決算号99ページ写真

さて、その栃湊-扇鳳戦だが『相撲』1983年名古屋場所総決算号83ページに詳しい顛末が載っているので、そこから引用する(以下、引用文はすべて同じ)。

左四つ、先に上手を引いた扇鳳が上手投げで攻める、上手の取れない栃湊は腰を落として必死になって残す。上手が欲しい。ワラを持つかみたい気持ちでいたところ、目の前に相手の左ヒザに巻いたサポーターがあった。

「これだ!」と、やにわにサポーターをつかんで “左四つがっぷり” の状態となった。“足” を取られた?扇鳳の動きも止まり、にらみ合いの格好となった。

『相撲』(ベースボール・マガジン社)1983年名古屋場所総決算号83ページ写真/行司は幕下格・木村城之介(後の三十五代木村庄之助)

 

まわしの代わりとばかりにサポーターをつかんだ栃湊。その様子は上の写真のとおり。

 

これに驚いたのが、この相撲を裁いていた行司の木村城之介(後の三十五代木村庄之助)。これを認めて続行していいものかどうかと戸惑った。

 

当惑したのは土俵下の勝負審判も同じ。『相撲』誌の記事には「枝川審判長(元大関北葉山)ら各委員が顔を見合わせて、こちらも『反則かどうか』の協議」をしたと書いてあるが、恐らく審判同士が目で語り合ったというところだったのだろう。

結局、枝川審判長が「禁手反則」と判断、行司につかんだ手を離させるように指示した。

木村城之介が栃湊に「手を離して・・・」と声を掛け、その右腕を引っ張って “実力行使” もした。だが、これを命綱とする栃湊は聞く耳持たずでガンとして受け付けない。

栃湊は栃纏とのコンビによる “初っ切り” の名手として有名。その “初っ切り” を本場所の土俵で演じているようなユーモラスな光景に、観客席からも失笑が漏れる。

さすがに審判が声を荒らげて注意したため、栃湊はしぶしぶサポーターをつかんでいた手を離したが、当然ながらこれによって体勢は著しく不利となり、扇鳳の寄りに敗れた。

後で、この審判の措置の是非が問題になったが、この時、鏡山審判部長(元横綱柏戸)は病気療養中で休場。代わって判断に当たったのが出羽海指導普及部長(元横綱佐田の山)。

(出羽海は)部長代行の立場から、審判委員の取った措置を支持した。「大体、廻し以外のものを取って相撲を取るのは道義的に許されない」という判断を示した。「故意でなく偶然、手がかかった場合なら仕方がないが・・・」との注釈付き。

つまり審判規則の「禁手反則」第二条第一項「後ろ立褌のみをつかんだときは、行司の注意により、とりかえねばならない。ただし、行司が注意を与えることが不可能の場合は認められる」に準じた解釈である。

【参照】

「行司が注意を与えることが不可能の場合」とは、激しい動きの中で一瞬つかむような場合だろう。

憤慨する栃湊

収まらないのは、負けた栃湊だ。「以前に相撲雑誌で、包帯をつかんで取っても良い、と書いてあったのを読んだ」と意識的につかんだことを認め「取られて嫌ならサポーターなど巻かなければいいんじゃないですか」と反論する。

「前にも一度、相手のヒジに巻いてあったサポーターを取って引き倒そうとしたことがあった。この時はサポーターが腕からスッポ抜けて、自分の方が倒れてしまった」という面白い告白話まで披露した。

この一件、ついに相撲協会の審判規則改定をもたらすまでに至った。

 

上にもリンクを貼った「審判規則 禁手反則」を見ていただければ分かるように、第二条第一項の「後ろ立褌のみをつかんだときは、行司の注意により、とりかえねばならない。(行司が注意を与えることが不可能の場合は認められる)」に続いて、第二項として、

 

「サポータ・包帯のみをつかんだときは・・・」

 

と、後縦ミツを「包帯・サポーター」に変えただけの一文が加えられることとなったのだ。冒頭に「1983年(昭和58年)7月改正」としてあり、栃湊-扇鳳戦を受けての改定だということが分かる。

この『相撲』誌の記事は栃湊に同情的だ。

相撲協会の力士規定第一条には「力士は、締込(しめこみ、まわし)以外を身につけてはならない。負傷者の繃帯ほうたい、サポータ、白足袋等は認められる」ということで、包帯を巻くのはルール上、問題はないのだが、それでも無闇に巻くのは「見苦しい」と見られがちで、できる限り廻し以外何も着けないことが推奨される面もある。

 

わからない話ではないが、もちろん、やむを得ず巻いている場合だってある。

だが、怪我もないのに巻くものではない。

小錦が若手の頃、肘にサポーターを巻いて土俵に上がったことがあるが、その理由は「カッコいいから」だったという。

カッコいいからと肘にサポーターを着けていた小錦(『相撲』1985年春場所総決算号「春場所熱戦グラフ二日目/相手は北天佑)

 

ところが、千代の富士との対戦の際、得意の突きで横綱を後退させたものの、土俵際で千代の富士は咄嗟に小錦の肘のサポーターを手繰って回り込んだ(85年春場所四日目)。

カッコいいので着けていたサポーターを手繰られて突きを残され負けるというカッコ悪い結果に(『相撲』1985年春場所総決算号「春場所熱戦グラフ四日目)

これは「行司が注意を与えることが不可能の場合は認められる」に該当するので反則ではない。サポーターがなければ残せないほどの状況だったかどうかはともかく、小錦は自ら不利を生じさせてしまったのは確か。

 

小錦は翌日からサポーターを着けるのをやめた。

『相撲』1985年春場所総決算号「春場所熱戦グラフ」五日目/若嶋津