今回も「思い出の場所」シリーズでいきます。

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1981年名古屋場所、番付は東西の横綱に、北の湖、若乃花。

 

ただし若乃花は初日から休場。これで三場所連続の休場。春場所での頚椎捻挫が尾を引いていた。大関は千代の富士一人。

 

場所の最大の焦点は、千代の富士の横綱昇進なるか。初場所、初優勝で大関昇進。大関わずか三場所目での最高位挑戦だった。

DVD「昭和の名力士」(NHKエンタープライズ)オープニング画面より

 

その他の話題としては、北の湖三連覇なるか、琴風、朝汐の大関先陣争いといったところ。

 

手形の押しすぎ

その千代の富士、初日の相手は隆の里。初場所では彼も大関昇進を賭けていたが失敗。夏場所で再び大関取りに挑み、今度こそ間違いなしと言われながら、まさかの六勝九敗と負け越し。この場所は平幕に落ちていた。

 

初場所では共に大関を争った二人が、一方は横綱挑戦、もう一方は一から出直し。「人生の縮図を見る思い」と誰かが言っていた。


その一番、千代の富士は右差し、得意の左上手は引けなかったが、おっつけて出る。そこを隆の里が体を開いて叩くと、千代の富士はまっすぐ前に落ちたという相撲だった。

『相撲』誌 1981年名古屋場所総決算号「名古屋場所熱戦グラフ」より

 

『大相撲』誌「名古屋場所観戦記」で谷口正美記者は「上手を引いていれば・・・と悔やまれる」(名古屋場所総決算号76ページ)。千代の富士にしてみれば、先場所は両廻しを取られて寄られ、あわやというところをうっちゃりで辛勝しているだけに、相四つだから長引いたら不利だという頭が働いたのかもしれない。いずれにしても焦りが出た。

 

なお、これが今も語り草の、千代の富士の対隆の里戦8連敗の最初の黒星になる。

 

取組後、千代の富士は「手形の押しすぎだ」と、手形の注文が殺到している人気力士らしい冗談で報道陣に応じた。

土俵に手形 (『大相撲』誌 1981年名古屋場所総決算号「名古屋場所熱戦グラフ」より)

 

綱取りに向け、一つも落としたくない序盤なのに初日早々の黒星で、先行きに不安を抱かせた。気の早い人は、これで綱取りはダメだと思ったようだ。場所直前、体調を崩し、体重が微減していたのも不安材料だった。

北天佑戦での闘志

しかも翌二日目の相手は、このところ2連敗中の北天佑。だが、ここからが千代の富士。

 

二日目は仕切りの時から、いつになく闘志を見せ、アナウンサーが「千代の富士、気合が入っています」と繰り返し言うほど。

 

立ち合いから、前ミツを取り頭をつけると、一気に即効の寄り。西土俵に詰まった北天佑は掬って回り込み残すが、千代の富士は休まず追撃、西土俵に下がりながら北天佑が再び掬い投げを見せたものの、千代の富士の勢いが勝り、青房下辺で寄り倒した。

千代の富士 北天佑を寄り倒さんとする瞬間(『大相撲』誌 1981年名古屋場所総決算号「名古屋場所熱戦グラフ」より)

 

その後は、千代の富士らしい相撲で勝ち進む。

のちに「ウルフスペシャル」と名付けられる 首根っこを抑えての上手投げを初めて見せた(私の記憶する限り)のが七日目の栃赤城戦 栃赤城は千代の富士との対戦で3回連続で このウルフスペシャルで敗れている

好調の朝汐を電車道の速攻で寄り切る 十一日目

 

北の湖の千代の富士への対抗心

さて横綱北の湖だが、少し話を戻して、夏場所後の6月に行われた大相撲メキシコ公演で、千代の富士との優勝争いの前哨戦のようなものを演じている。

 

大相撲一行が、メキシコの世界遺産「太陽のピラミッド」を訪れた際、登頂に挑むも、途中、垂直に近い箇所もあるということで、思いのほかの険しさにリタイヤする力士が続出。それを尻目に、一人、千代の富士だけが難なく頂上まで登ってしまった。

 

北の湖は、はじめは登る気はなかったのだが、「なに!千代の富士が登った?」と、対抗意識を露わにして登り始めた。何しろ165キロ、アンコ型の巨体だから、千代の富士のように難なくというわけにはいかないが、途中は手も着きながら、それでも登り切り、横綱と大関が頂上で対面となった。

 

角界随一の千代の富士の運動神経も見事ながら、北の湖の意地とライバル心も、また流石と言われたものだった。

「太陽のピラミッド」を背にする両雄(相撲』誌 1981年名古屋場所展望号 表紙写真)

 

北の湖に死角なし

その北の湖、初日から、完璧と言っていい相撲で白星を重ねる。

二日目 天ノ山を寄り切り(『大相撲』誌 1981年名古屋場所総決算号「名古屋場所熱戦グラフ」より)

 

前年、1980年の春から名古屋まで三連覇、特に名古屋は全勝優勝で、これまでの北の湖の相撲で最高と言われていたが、それをも上回る充実ぶり、いよいよ円熟の域だと誰もが評価した。

十日目 隆の里を押し出し(『相撲』誌 1981年名古屋場所総決算号「名古屋場所熱戦グラフ」より)

 

「右でも左でも自由自在。まさに磐石の横綱相撲」(三宅充)

「緩急自在、まったくつけ入るスキがなくなった」(十代二子山/元・初代若乃花)

「おそらく彼が力士になって最高の場所」(神風正一)

 

好調 高見山 出羽の花

この場所、平幕で好調だったのが高見山、出羽の花。

 

高見山は幕内最年長の37歳ながら、この場所は幕内最重量196キロの巨体から繰り出す張り手、突き押しが炸裂、下半身の脆さも陰を潜め、九日目まで一敗で千代の富士と並んでいた。上位戦が組まれた十日目以降は、やや負けが込んだものの上位陣を苦しめる相撲が多く、破壊力をまざまざと見せつけた。この場所、十勝五敗と、久しぶりの二ケタで、敢闘賞受賞。

高見山は 千秋楽 若島津を押し出し十勝(『大相撲』誌 1981年名古屋場所総決算号「名古屋場所熱戦グラフ」より)

 

 

大相撲』誌 1981年名古屋場所総決算号「名古屋場所熱戦グラフ」より

 

技が冴えていた出羽の花は、十一日目、巨砲を得意の小股掬いで破り(写真参照)九勝二敗。翌、十二日目は千代の富士との対戦で、好勝負が期待されたが、実は、この巨砲戦で肋骨を折っており休場。千代の富士は不戦勝となった。

出羽の花戦 不戦勝の勝ち名乗りを受ける千代の富士 入門以来初めてのことで 照れくさくて顔が火照っていたという意外な感想を洩らした(『相撲』誌 1981年名古屋場所総決算号「名古屋場所熱戦グラフ」より)

 

好調だっただけに残念なことで、この場所、技能賞は該当なしだったが、千秋楽まで出ていれば出羽の花のものだっただろう。途中休場でも三賞をやりたいくらいだった。

十四日目「まさか」

十三日目終わって、北の湖が土つかずの十三戦全勝。千代の富士は十二勝一敗で追走。

十三日目 琴風を寄り切る北の湖 これで先場所八日目から二十連勝 (『大相撲』誌 1981年名古屋場所総決算号「名古屋場所熱戦グラフ」より)

 

十四日目の取組前、NHKが観客に優勝は北の湖か千代の富士かのアンケートを取ったところ、正確な数字は忘れたが圧倒的に北の湖を推す声が多かった。

 

先々場所、先場所と続けて、優勝をかけた相撲で千代の富士は北の湖に手の打ちようもなく一方的に負けて優勝を逃している。今場所の千代の富士が好調とはいえ、北の湖はそれを上回る充実ぶり。しかも千代の富士はすでに一敗しており、逆転優勝は厳しい。観客だけではなく専門家もそう見ていた。

北の湖の十四日目の相手は関脇朝汐。対戦成績三勝四敗と、北の湖が現役唯一負け越している相手。「苦手」と言われていたが、今場所は過去のデータは参考にならない。もともと実力では格段の差があるのだ。落ち着いて普段の相撲を取れれば問題はない相手。今場所の自信に満ちた取り口を続ける北の湖には苦手意識もないだろう――誰もがそう思っていた。

その結びの一番前、千代の富士は琴風を上手出し投げで一蹴。一敗を堅持(『大相撲』誌 1981年名古屋場所総決算号「名古屋場所熱戦グラフ」より)。

 

そして結び、北の湖-朝汐。

なんと北の湖は、前日までの横綱相撲とは打って変わって、立ち合い、左に変化して叩きに行く(『相撲』誌 1981年名古屋場所総決算号「名古屋場所熱戦グラフ」より)。。

 

これが悪く、朝汐は乗じて突き押しで攻め立てる。慌てて応戦する北の湖だが、消極的な立ち合いの時点ですでに先手を取られている。見る間に後退し、最後は西土俵に突き倒されてしまう。

尻餅の北の湖。しかも、このあと勢い余って一回転し土俵下に転落。誰が北の湖のこんな姿を想像しただろうか(『大相撲』誌 1981年名古屋場所総決算号「名古屋場所熱戦グラフ」より)。

 

勝ち残りで控えていた千代の富士が、あの鋭い眼を丸くして驚いた顔で引き上げていた。

千秋楽相星決戦

翌、千秋楽。再び優勝予想の館内アンケートでは、依然、北の湖有利とみる回答が多かったものの、千代の富士の票が急増し、五分に近くなった。昨日の相撲で一敗で並んだこともあるが、北の湖の負け方があまりにひどかったことも影響していたようだった。

 

いよいよ決戦、結びの一番(以下、取組の写真はDVD「昭和の名力士 六」から画面を撮影したもの)。

実況・杉山邦博アナ「気力を全身に漲らせる千代の富士、勝つことは横綱を掴むことです!」

「昨日のことは忘れました。この一番に横綱の威信を示すか北の湖!」

 

立ち合い、左四つ、千代の富士はすぐ左下手の浅い所を引く。両者上手が取れない。

北の湖は上手が取れないまま抱えて寄る。

千代の富士は、やや下手から捻りも加えながら回り込み、逆に北の湖が俵を背にする。両者ほぼ同時に上手を引いた。

これでひと呼吸あれば北の湖のものだが、千代の富士は休まない。すぐに体を開いて右上手出し投げ。北の湖は両手を広げて大きく泳ぐ。

千代の富士は北の湖の横に喰らいつき、今が勝負と走る。

寄り切り。北の湖を土俵下まで吹っ飛ばし、

自身も勢い余って土俵を滑り落ちる。

 

千代の富士は第一人者北の湖を破っての堂々の優勝。場所後の横綱昇進を確実にした。

朝汐戦は歴史を変えた?

それにしても、北の湖にとって悔やまれるのは十四日目に自分の相撲を忘れ、魔が差したかと思われるような立ち合いをしてしまったこと。これは当然ながら場所後も酷評された。

三宅充「今場所の朝汐は頭からぶちかます相撲は一番もなく、必ずと言っていいほど相手を見て突っ張ってくるのに、立ち合い変化するなどは作戦としても下の下」

 

天竜三郎「大変な充実ぶりと見ておったのに十四日目の相撲は悪すぎた。もともと立ち合い左へ変わるくせがあるが、苦手意識があって、とっさに出たのだろう」

小坂秀二「十三日目までは大横綱の取り口、特に八日目までは完ぺき。いよいよ自分の取り口を覚えたようだと喜んでいた。左四つ、右四つにこだわらず、まわしにこだわらず、守るべきときに守り、出るべきときは出て、完成の域に近づいたと思っていたら、十四日目はがっかりした。最近こんながっかりしたことはない。あの晩はヤケ酒を飲みました。あの相手に立ち合い踏み込みもせずにはじめからはたきにいくなど考えられない。あの変化だけで十三日目までの充実ぶりも帳消しです」

小坂秀二(著書『栃若時代』冬青社 プロフィール写真)

 

小坂氏は「千秋楽も、千代の富士に一場所待ったをかける気力が欲しかった」とも言った。また先述のとおり、千秋楽の実況で杉山アナは「昨日のことは忘れました」と言ったが、やはり朝汐線の敗北で、無様としか形容しようがない姿を満天下に晒してしまったショックを千秋楽に引きずったのではないか。

 

千代の富士に容易く左を許し、上手が取れないまま強引に抱えて出たり、また一旦、上手に手をかけながら出し投げに崩されてしまった辺りに、それが伺えるような気がする。

 

千代の富士は場所後、横綱に昇進。新横綱場所こそ休場したものの、時代は北の湖から千代の富士へと移っていった。千代の富士が北の湖を破って、自ら天下を掴んだことは確かだが、あの朝汐戦が歴史を変えた一番だったと言っても、あながち的外れとは言えないような気がする。

 

参考:『相撲』(ベースボール・マガジン社 1981年名古屋場所展望号・名古屋場所総決算号/『大相撲』(読売新聞社)1981年総決算号/北出清五郎著『話のふれ太鼓』(廣済堂)