初代若乃花の立ち合い変化

久しぶりに初代若乃花の映像を見た。

改めて思うのは「けっこう立ち合いに変わってるよなあ」

 

もちろん若乃花がしばしば変化していたのを知らなかったわけではないし、小兵だから仕方がないとも思っていた。一面「土俵の鬼」らしく、どんな大きい相手でも真っ向から・・・などと勝手なことを思ったりする。こういうDVDだと一度に何番もそういう相撲を見るからあまり印象が良くない。「鬼」に対する軽い(あくまで軽い)幻滅のようなものがなくもない。

(以下、写真は特に断りがない限り「大相撲名力士風雲6若乃花」より画面を撮影したもの)

1956年春、優勝決定巴戦。まずは若羽黒と。

若羽黒には勝って、次の朝汐戦。

優勝のかかった相撲で二番続けては・・・。

もっとも、この朝汐戦には敗れている。

1958年初、ライバル栃錦との二度の水入りで、一番後取り直しの相撲。

左に変わって思い切って小手投げ一閃。これが熱戦の末の結末。これにスカッとするか、モヤモヤするかは見る人の感覚による。

 

翌日の千秋楽、優勝をかけた一番に、またも・・・(相手は若前田)。

いずれの相撲も大関当時。

なお、上の写真の栃錦も、時折変化を見せていた。小兵の特権と見られているところはある。

千代の富士の場合

小兵といえば、千代の富士も大関時代に変わったことがある。

読売『大相撲』1981年夏場所総決算号「夏場所熱戦グラフ」十日目より

 

批判する声もあったが、この号に観戦記を書いている三宅充氏は、

栃錦も若乃花も、一場所に一度くらいは立ち合いに変化技を見せた。批判する人もあろうが、相手にいつも迷いなくぶち当たられないためにも、小兵力士が立ち合いに変化することはたまになら許されていいのではないだろうか。

と、千代の富士の変化は認めていいとの意見。

 「まさか逃げるとはな」 

その三宅氏は、三代目若乃花(現・花田虎上)の変化にも擁護的だった。読売『大相撲』誌の総評座談会で、横綱貴乃花の変化には厳しかった小坂秀二氏は、若乃花の変化にはいいとも悪いとも発言することがなかったが、一度だけ若乃花の大関時代、体が小さいことをを考慮すると認めることになりがちだが、とした上で「ただ、相手はそうは思いませんよ。大関が変わったという不快感はあると思う」とコメントしていた。

 

小坂氏の言葉通り、変化されることは力士にとって不快なものらしい。相手が大関、横綱となればなおさらだろう。上の写真の相撲で千代の富士に変化された蔵間も「あーあ、まさか逃げるとはな。(千代の富士は)逃げたことなんてないんでしょう?!チクショウ!」と悔しさを露わにしている(前出『大相撲』誌86ページ)。

千代の富士は別のインタビュー記事では「やっぱり勝っても勝ち味よくないね」と語っている。私の記憶する限り、以後、千代の富士が立ち合いに変わることは一度もなかった。

 

初代若乃花に話を戻すと、愚直な直線相撲を取る柏戸に対し変化して勝ったあとで「ああなっちゃったんだ」と、悪いことをしたような顔をしていたとか。

1960年秋 若乃花(手前)柏戸に変化して勝つ

 

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