信州聖書集会HPより(http://www.netekklesia.com/untitled-c1reh)
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1937(昭和12)年7月(44歳)には日中戦争が始まり、矢内原は『中央公論』9月号にこれを批判する『国家の理想』を書いた。
これはただちに全文削除の処分をうけ、大学内外において連携したファッショ勢力はこの論文を問題にし、矢内原を大学から追放しようとしたが、決め手を欠いた。
そのとき、10月1日に藤井武7周年記念講演会で行なった『神の国』の講演を掲載した『通信』が警察の手に入り、
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今日は、虚偽(いつわり)の世に於て、我々のかくも愛したる日本の国の理想、或いは理想を失ったる日本の葬りの席であります。
私は怒ることも怒れません。泣くことも泣けません。
どうぞ皆さん、もし私の申したことがおわかりになったならば、日本の理想を生かすために、ひとまずこの国を葬って下さい。
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という一句が決め手となって、矢内原は大学を去った(矢内原事件)。
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