吉田茂の返答(少し変えております)

 

桜は花

梅は水無月

牡丹は文と申しますが、

ガラスは千葉

気はこころ

海は沈黙

やがて夏に至れば

山の草木も燃えましょう(萌)

花は化粧

私(わたくし)は自然にございません

低く講和し身は直視し

 

長き道のりは

朝に梅雨となり(露となり)

昨日は紙の上につづり

夜は酒に御座います

戦後の山陵は霜が無きよう

樹は根が大きく広がるよう

磯には波がたたぬよう

鎌倉には裏があらぬ様

東雲には八州を

満月には五線を調べ

本日は師と走らせていただきます。

 

小倉は百州、鎌倉は天地、秋の田にはじまり

華は岡に咲き、葛城の都、

宮には岩手の物語、城には清水の青葉

勢州には真珠の物語、大和には足鹿の蝦夷を

津で合えば諜報、郡山は氷室にて福の縞(しま)

森(山)の形は素直にて、杉が生い茂る雫石、

茨の道も門前まで、粉河と身となり桜となり

ウサギの湯は浅く、根来は醤油の調べ

馬の群れは巨人に勝てず、浦(裏)は表は東照宮

日の光は見ざるとも、紀の前が宇宙の理、

三河は紀の後、田はなく茶が有り、日は高く候へど

竹は玄人、月はしあわせ、信じるに足り、川を広げる

されど干潟に新しく、燕に天は満ち、後宮を越え、

仲は立て、戸に間に、紙は富まねば、波を防げず

能に登れば石の川も道と成りやがて御坊となり

東に法し、南の印籠、朝は暗くとも、福は美浜

松を木曽路に、野に長じて善通寺、島の合戦を川中に

高山の語録、ここは串本、山垣を支え、

定山(低山)の山中渓、向かいは大島、海は郷、近く遠く黒く青く

大地は鯨、釧(串)路に十度勝ち、或いは負、引、安じて佛、その口は赤く

滋養に翠(緑)、琵琶を加えて、太平の世は近く、大江、逢坂の関はいづこ

天橋立は又のぞき、峠は孝行にも風吹、都に糸を通すよう、

亀の丘に(竈山)、鶴は京田辺、(紀北)北山は無論飛び地、世論は西園寺

酉は表に裏には菖蒲、五月雨を集めて速し(囃子)大井川、各々にて渡られよ

皐月は木蘭、大体(オレンジ)にて、日暮れて、遊見、、、

松下は国の礎、備前、備中(眉中)、備後とそなえ、淡路は姫路、小倉を敷、道は尾張(終わり)山陽を三洋とする。

始まりは清洲、河の向かいにて一夜城、実りの秋を迎え、愛を信ずれば朝(長)を知りて、神楽坂にて明智

言葉はなく因あらば平らになる、広がるは島、平家の里、清く栄え(盛)

春秋をかけて、夢のように祇園(疑音)、呉漢の三國、山口、岡山を足す、三本の矢となれど、(ごめんなさい精一杯です)

太閤とは勝負ならず、引き返し野心は入れ変わり、藤吉郎は端から中臣へと、そして豊穣の秋、あとは夏と冬、

真田は天下分け目、九度山でも沼田でもなく、勝負に入らず、柿を以て許せ

R(右の月)は牡蠣、Lの月は左、

(january, february, march,april,september,october,november,december)

(may, june,july,august,)

8でも4でもなく9から入り、5にでる。私の範疇は(呉から大井川まで)

(高野をかけ弘法も筆の誤りと、田沼意次)

 

そして海を渡れず松陰、祖先の名にかけて青木周蔵(造、三)、周防の蔵と倉、

萩の月、青木松風庵、津和野の姫君、浅井(六角ではない)か浅野か、対するは朝倉

椿をきる、春木に移住し、姓を下野に残す。

 

まず、西国は紀貫之、土佐日記、鯨海酔侯は陽動、佐幕と維新の狭間で

攘夷を上位とかけ、土佐に変じる。表向きは佐幕。

香川は讃岐、佐幕を抜き、如何かと和合し、高松と吹き上る。

徳島は粟、泡のような渦潮、阿波、徳がなかったと感じ、紀泉を入れる。

愛媛は松山、坂の上の雲の物語、ホトトギスと天下分け目の物語、紀伊と矛盾しいよかん(漢、柑)と、才媛は愛す。

南海道と古にかけ、和歌を足す。

 

山陰には雲を感じ、酉は表、裏は烏丸から続くため、鳥と取り、陰陽道の気配を感じ、気持ちが迷子に米子、京を入れ舞妓、

島根は鳥と近く遠く、根は国造にあると考え、少し動かす、何時も心に残る気配、おそらくそれで出雲(いづも)

藍が合わず、泉州に身を置き、和泉鳥取、日根野、でかけ合わせる。

熊取は雲を取りたいという案もあり。松江を港に残す。相談し境港とあちらに残す。

(ふつうここで小倉百人一首は終わる。お菓子を食べる。)

周防には家がありますので、大内、山口。お家で山の入口、さらに気をまとめるため大山とかける。和歌を入れたくないので、松風庵で、萩の月とする。難しいがこちらに周参見、日置(ひき)とする。

 

九州に入りますが、どう考えてもこちら側の立場ではどの家族とも矛盾をかかえざるを得ず、「図った(はかった)」という表現になってしまいます。「知識が多くとも困ったものです。」そして、こちらにも「小倉(こくら)」をつくり静め、確実に気をきりとうございます。国鉄側は九州ぜんぶを「鹿児島本線」としており、出水を郷として藍を育てた田島に真っ向からぶつかります。しかも北方の四島は「田島」に見えなくもない。GHQの方で福島という姓の家族の者を郷にいれたようでございます。どの福島か、福田の銀行の話か、会津といいたきのか、福井の話か、あるいは福建省といいたいのか、おそらく藤原の者かなんともいいようのない名前でございます。福原といいたいのか。こちらからはそのように見えます。

 

 

句目は百人一首、西国は和歌、東国は万葉、北國は古今、九州は混在。

ここまでです。

 

 

 

 

瞳に薔薇を、浜辺に百合を、

画竜点晴、野山に緑、

国破れて山河あり、山河敗れて國有り

文殊に芽吹く九重、福は若さの泊まり、

麻に恵まれ、いろはにをへと

弓は真、吉は真

黒きを右に、藍を左様(作用)に

昭和のみずほ、島に泉あり、干支は上の句、くには下の句

歯舞の世に、色を丹年に

 

以上です。