この文章は日本的な文脈を主にして書かれた文章である。

 

昔の人間の立場から、今の経済をみるときに、1980年代を基準として世界が変わったという言い方がバブルの頃、だったが、また最近、失われた◯0年、というフレーズの方をきくことが多く、外国語訳としても定着する状況になってしまった。この世代の目から見ると、高度経済成長と1980年代の区別がつかないように、現世代にとっても、2000年代と1990年代の区別がつかない。2000年に大学入学をした人間にとって日本経済=グローバル経済だった。あるいは情報化社会だった。その割に海外が遠く、国内人脈と海外にキャリアを持つ人間に分かれてしまっていた。その目から見ると同じ話になるけれども日本は日本である。失礼だけれども、(AK code発表時に亡くなられた)大江氏の「あいまいな日本の私」という題名が当然だと考える世代である。

 

昔、日本人の弱点は、コンプレックスや集団意識に過ぎず、語学力でも意思表示の脆弱性でもなかったと、私、は信じる。それでも中田英寿氏がいうように、アジリティーが強みだと考える人物がいる。特に、この「経済的コンプレックス」がバブル崩壊のころより論調として出てきた。そして、日本人論が本屋を賑わしはじめた。

 

結局のところ「経済的コンプレックス」はホワイトカラーの問題であって、ブルーカラーの問題、製造業従事者の問題でない。とくにシステム関連に就いている中高年や、管理職としての人口構造の問題に直面した学者さんたちが、、意識していることを本にまとめたものである。自分たちで希望に満ちた未来をつくりだせたのか疑問に思うこと、同様に、何に対するコンプレックスなのかよくわからなくなったこと、たとえば、そのように思っていた。会社であれば、外資系のアメリカ出身のエリートの話を聞かざるを得ない。別に答えが正解であることもない。そして、高齢者などいなくなればいいなどという人物(私も失礼ながら学者ではないと思う)がでてくる。

 

究極的に通常、誰もが人口構造の問題にはしたくない。おじさんは、マスコミをみるといつもそんな思いが透けて見える。