開国をせまったという歴史的教科書の事実について、どう思う。私は、一隻、数隻だけで、幕府にプレッシャーをかけることが可能なのだろうかと考えていた。また、当時のアメリカには日本の江戸の位置を「海図」を中心に判断する材料があったのだろうか、という疑問があるだろうと考える。その2つについて、仮定を中心に話をしたい。

 

開国を迫ったということよりも、近代の船舶にたいして日本人の衝撃があったのだろうと考える。砲弾がどれだけあろうとも、人口比で圧倒的な日本人、江戸幕府に勝てるわけがない。鉄砲も、大砲もすでに日本には、あった。どういうことに驚いたのだろうか。一つ目は、蒸気機関だったと思う。もう一つは、海図がすでに外国の手に渡っていたことだったのだろうと考える。もちろん大船団を投入して日本を征服するつもりがあったわけではないが、当時すでにさまざまな場所で出没する外国船の扱いに苦慮していたことだろうと考える。そして、アメリカはさすがに遠いが、中国、ロシアにも同じ技術が入ってきたときに、日本の歴史を考えて、地域的紛争に発展する可能性にまで、想像がついたのだと考える。

 

日本人という概念は、学説によると、近代以降のものである。九州の言葉と東北の言葉は全く通じ合わなかった時代が、戦国時代をはじめ長かった。江戸幕府は幕藩体制を敷いていた。大名は漢語を中心に会話を重ね、その素養が問われたようである。(と聞いている)標準的な言語は、終戦後(終戦前?)、山手線付近で話されていた言葉を主に国語とされたようである。

 

江戸の大名にかかったプレッシャーとはなんだったのだろうか。攘夷や佐幕の時代はもう少し後になる。

 

私は、この件が幕府内で話し合われたという教科書的事実に注目してみたい。なぜなら、地方の大名の立場はその時点においても一致をしている時代ではなかったのだと考えるからである。東京中心の国際的判断において、一つのモデルとなっており、この事件を歴史でポジティブにもってくることが、以後の東京のガバナンスに、地方からみれば正当性を、中央からみればロールモデルを提供していると考えた。