確かに、論法としてはこのようなものだっただろう。ところが、問題をうやむやにしてきた責任は多方面に降りかかっている。放置してきた責任はその家族である。子供に罪はないと言わなければならない。だから現象は続くし、(しかな)答えを持っているのはその本人もしくは参謀だろう。このように発展的な話題がある。発展というのはある時期を境に答えを出すことをあきらめてしまった我々の責任である。ただ、事態は未来永劫続くかと言われれば、徐々にでも解消するしかない。それは話題をコントロールすることと別のフィギュアを立てることである。でももうしたくない。ならば、つぶすしかないという論法も多分あっている。でも、なんかそんな問題じゃないような気がしている。そこがせめぎ合い。で、当人はといえば、そこは当人、潰れてもいいという人が大半である。ところが別の物語が用意してある。これが困ったことになった。知らない人が多すぎる。そういう理屈である。

 

ブログでは説明をしている。しかし、説明はもう聞きたくない。ところが、国際イシューが降っていると言ってくる。うん、知っていた。けど誰がそんなものに対処できる。でも、むかついている人が大半らしい。そして、巡りめぐって防衛に波及してくる。そこを突かれる。絶対に負けられない戦いになっている。本人には同情しかない。けど、そんな人生ではもう納得いかない人の方が多い。問題はわかっている。ネタの扱いに慣れた人々と、それを文化の一部と見ていた人々。そう、こういうこというのはやばいんだけど、じゃ全般の調整っていうのは、そういうことを含めてということになる。じゃまた変わってくる。もうたくさんだ。しんどい。っていうか気が滅入るっていうだろ、普通。説明してるってことは、言い訳に聞こえる。でも、筋が通っている。古い日本語だし、でも、なんか新鮮でもあるという人もいる。そのくらい論理的なんだろ。じゃなんでなんだ。じゃ、つぶすのはその会社とこの会社。そこも、揺動に対して、逆に引っ掛けるというシナリオを選ぶ。すると、反発が両方ででる。こんな筋書きを描いてみた。

 

そして今がある。つぶされた。まさか逆食いとは思わなかった。そういうのが、相手。でもその奥にはまだ控える。