難しく考えすぎである、と言われることではある。でも、自分のプライドなどとは違う。大義というよりビジョンである。そしてその中での自分のポジションである。見つけた人はあまりいない。賢さは大前提ではある。ここまでは頭のいい女性ならわかってくれる。ところが、肝心の本人がブログで遊んでいるために、ビジョンが欠けてしまう。それならまだ黙っていてくれた方がよかった。昔から変わらない。まだましかもしれない。それは大学以後の登場人物である女性には共通である。しかし高校の同級生の女性は違う。なんというか、人生を大学で知らないと本人のようになってしまうし、ある意味では確かに、、、近い。そのような人とビジョンを語れるとは思わない。でも、ポジションにははまる。なるほど。えらそうですね、自分が。
私は、嫌いではないと言った。好きでもないかどうかはその人によるらしい。でも、良いところがあるかどうかなんて論点は的外れである。そこも高校の同級生たちとは違う。そして、出てきたあの人。多分、扱いが難しいだろう。本人は迷惑だっただろう。ポジションと、強いのか弱いのかわからない。でも出て行かざるを得なかっただろう。それは構わないが、知っているか。自分にのみ持っていることがあるということに。それは本当の大義である。それは、ベクトルは逆ではあるが、そちらさえあれば当人のことを含めてあとはどうでもいいことを知っているか。それだけが必要な人など星の数ほどいることを知っているか。もう椅子に座っていることがわかっているだろうか。不安である。