暮れるという言葉は、フェードアウトである。しかし、呉にも通じる。いずれにせよ我々が感じているロシアのイメージ、ジャーナリズムと日本のジャーナリズムには差がある。日本語のニュアンスはロシアに通じるものは一部と考えられる。そういうことなので、さまざまなイシューは温度が違う。また、ロシアにはその生活感覚があると考えてみる。戦後は一致していた歴史の前後関係がジャーナリズムによって変わっていくことがある。相手国についての印象も世代が変われば変わっていくことがある。

 

何が目的でそのようなことを言うかといえば、イシューに対して最近のロシアはこだわりを見せていない。政治の年齢のこともあるが、話、ストーリーといってしまうかもしれないが、感覚が鋭く、逸脱が許せないのはどちらかといえば我々かもしれない。しかし、相手は領土に敏感である。経済や損得にも敏感である。一致点を見出すことは政治の仕事だが、何かというとマスコミに足を引っ張られる関係もある。このような状況で、何ができるかを考えてみる。解決策は見出せずともコネクションを維持している人は偉いと思う。このような視点である。異論はあるかもしれない。

 

北海道はロシアに近い。近いが、現地にいないと肌感覚で分からないことが多い。その意味では、北と南は似ている。課題は違うが、中央のガバナンスに対して視点をずらさなければ生活できないという実情(事情)がある。他地域でも同じかもしれない。難しい観点になる。

 

この項おわり。