随分と難しい計画だったかもしれません。私は本土のものでメンタリティーがどうしても違います。どちらかといえば、このような手紙では東京寄りの考え方が主流になります。一部妥協や拝借などをしますが、仮にという立場、となります。沖縄県の感覚ではどうしても記載することができません。しかも、日本語についてもしっかりと理解をしている職員であるとかりそめに設定します。文言とはそのようなものです。私自身の立場から軽々しいことなどは言えません。ですが、非常に苦しまれたことと私は、考えております。歴史として、現実的なもので、さらに先日の私の旅行としてです。

 

元来、諸島の完全な制圧というものは全然簡単なものではなかったと考えております。その過程で、あるいは、その中で、沖縄本島以南が、(以下です。本当は、です。)1970年代にこの国に返還されました。戦闘としては、この者は全く無知ではあります。しかし、東アジア情勢の範ちゅうで、位置関係から有意な部分を占めており、戦略的には重要視されています。ただ、現実は地域主権といえど発展というものはほんとうに難しい。論点整理という面もあり、島ごとに南西諸島はぜんぜん別なので、そういう状況下でのキャリア整理(構築)がパスとして非常に難しいと思います。

 

大学の時に先輩が沖縄出身でした。西村さんと言います。失礼ですが、大変熱心なかたです。私の方面から申し上げるほかありません。

 

その項はさておいて、先日より地域的に外交を展開されている同県庁の方には地域外交の基本を率直に考えておられ、大変尊重すべきこととと理解をしております。沖縄県は地理的に本州から離れており、現在上の本州の揺らがりが波及しづらいものと考えています。しかし課題は山積の状況で私などが申せませんが、頑張ってください。と、心の中で思って書いております。政治的立場としてこれはラインすれすれでしょう。現在では。その上で、先日の種子島の件と合わせて、思っていることがあります。

 

例えば、他の諸島では比較的穏やかに過ぎていく雰囲気がありますが、沖縄本島は危機感と隣り合わせで、一日一日を過ごしてゆくことになります。このような状況を分散できないかと考えるのは、返還の経緯、または密約などがあれば、仮にみることができれば当然の意見として思うのではないかと考えます。しかし世論は(あくまで)東京側がコントロールしています。このような状況が簡単に見てとれるため、素直に日本のガバナンス体制のバランス感の欠如がこちらから見てとれます。たとえば、関西に軸足があったならどうなるか確認したくなるでしょう。そんな方がおられるでしょう。今回の内容も同じものでしょうか。