最終的に、、今日は家にいること にした。ときどき、出かけていく。例えばコンビニや薬局。近くのポストは新しくなった。でも調子に乗ってはいけない。原付しかない。他の乗り物がない。
全くもって言語道断だと感じていたようでした。誠実さのかけらもない。他人に与える悪影響や他人の人生に踏み込むことには、極めて慎重であるべきだと、信じておられた。功績とは我慢の連続であり、自分の仕事とは信じることを進めること、そして原理を守ること。鹿児島で入院していた時、許可を頂き、、「主体的自由」のお話をしました。私たちの方針といいますか、思いの中には(シンプルにここは方針なのですが)変え難いものがある。それでも、分かってもらえないことがある。ゆずれない、ものがある。
極めて不快だったことですが、年齢のはなしでした。自分とはどのような軸をもっていきるかと知ることに、年齢が関係あるか。私は、そのような思いでは気持ちを押し測れないものがある、と教えられた。宗教ではなく、原則として、自分がどのように過ごすかということは、自分の意思や気持ちでしか考えられない。しかし、そこに社会の枠を当てはめてしまうことは最小限度が正しいのではないか。そのように信じて参りました。
最後まで、自らの意思でありますように。本人ではなく。