これは「ノルウェイの森」の爆発的な大ヒットで、プレッシャーを感じた春樹さんが悩みつつ、ローマで書いたものだと言われています。
その最後に収められている「眠り」の感想です。
悪夢をきっかけに一睡もできなくなった主婦の話。
その前に収められている書き下ろしの「ゾンビ」とのつながりも感じます。
冒頭で主人公が若いときに陥った不眠症のようなもの、と現在の「眠れない」状態には違いがあることがわかります。
前者は覆いかぶさる雲のように一時的なもの(避けられなかったもの)ということに対して、後者は自分が原因となっている。
主人公は眠れなくなってから「人生を拡大している」と思い込み、どんどん傲慢になっていく。
ここらへんはオスカー・ワイルドの「ドリアン・グレイの肖像」にも似てるかなぁ。そうでもないか。
とにかく眠りを拒否することは、死を拒否すること同義だ。
しかしそれは長くは続かず、破綻が生じていくのだけれど。
主人公は、眠れぬ夜にトルストイの「アンナ・カレーニナ」を読みふける。
アンナ・カレーニナは不倫の果てに自ら機関車に身を投げ出して自殺する、というあらすじだ。
アンナの死への逃避に対して、主人公は死を拒否している。
しかし、それは不可能であり、結果的に現実からの逃避を意味している。
その意味で主人公とアンナは共通している。
主人公が卒論で最高点を取ったという、キャサリン・マンスフィールドはウルフに先駆けて「意識の流れ」を書いた作家ですね。青空文庫で1作は読めます。
また、「傾向」ということばに主人公は注目するが、この傾向というのは同じことを繰り返す=運命に結びつく、という意味だろう。
この傾向=運命からいかにして逃れるかは主人公自身にかかっている。
彼女は夜中に港へ行き、何者かに車を揺さぶられることで、現実に帰ってくる。
この話で注目するべきは、同じ短編集に収められている「加納クレタ」と同じく「水」だ。
老人にかけられた水差しの水が眠れぬ夜のきっかけだし、プールに港。
私は「加納クレタ」では水の音を聞く=自分自身が何者であるか認識する
と読んだのだけれど、これも同じような意味合いを持っているのではないでしょうか。
水は自己認識のツールなのではないかと。
車を揺さぶってるのは誰かっていうのはいろいろ考えられると思うのですが。
両側から揺さぶってるから旦那と息子だとか。
私は自分自身の影のようなものではないかな、と思う。
一見、何の救いようもないと取れるラストだけど、実はそんなに暗くもなくて。
「本当の居場所はここしかないんだ、現実を見据えろ」
(もっと言えば、「本当の居場所はここ、だ」)
という春樹さん自身へのメッセージというか決意表明みたいなものだと思いました。
また、去年「ねむり」という作品が、「眠り」の内容は変えずに文体をヴァージョン・アップしたものとして出版されています(漢字とひらがなで作品の区別をつけています)。
そのことからもこれは春樹さんにとって大事な作品なんだなぁと思います。
