引越しが無事に済んだものの、長男(4歳)は療育園の返答待ち。
次男は2歳なので通う場所は無く、1日中1人で2人を見ていなくてはなりませんでした。
思い返すと、この期間は精神的にも肉体的にもかなりしんどかったです。
1日3度の食事の世話に、長男のトイレトレーニング、次男もまだオムツ。
毎日2人を連れてスーパーに買い物に行ったり、公園に行くだけの日々。
夕方以降は長男が大抵情緒不安定になり、泣き続けること数時間。
夜もなかなか寝付かず、寝たと思ったら数時間後に目覚めてまた泣き始める。
一度起きると2、3時間は寝に戻らず、その間ずっとしくしく泣いているか声を出しているので私は当然眠れず、
朝は次男が早起きなので毎日3、4時間しか眠れていない状況でした。
週に2回、ABAに通わせている時の母子分離の1時間40分が、
唯一長男と離れられる時間でしたが、当然次男も一緒なので、
公園などに連れて行き時間を潰していました。
夫は朝出勤したら深夜まで不在だったので、文字通り24時間体制のワンオペ育児。
帰国からの引越しを経て、疲れを引きずったままの睡眠不足の毎日。
極限状態に近かったと思います。
帰国前に大分進んでいたトイレトレーニングも、実家に滞在している間、
汚したら申し訳無いとオムツを履かせている事が多かったので、
すっかり後退してしまっていました。
漏らしたうんちのパンツに手を入れてしまい、
その手を壁にべっとり擦り付けていた長男に、
「〇〇、うんちはトイレでするんでしょ!」とつい声を荒らげてしまう。
しかし私の怒りは届かず、ケラケラ笑っている長男。
買い物に行けば、自転車の後ろに乗っている最中に漏らし始め、
座席がおしっこでビショビショになり、当然長男の下半身もビショビショ。
それなのに何が可笑しいのかケラケラ笑っている長男。
怒っても分からないし、教えても理解出来ない。
知的障害の子を相手に、私は何を頑張っているんだろう。
そう思ってしまった自分がいました。
あの頃の私には、誰かの助けが必要でした。
でも誰にも助けを求められず、1人で抱え込んで苦しんでいました。
今思えば、児童相談所に電話して助けを求めれば良かったのかなとも思います。
でも、渦中にいる時は、そんな事すら思い付きませんでした。
助けを求められる場所を探す余力すら残っていなかった。