コービー選手の訃報が報じられて約3週間経ちますが、ファンや関係者のみなさま、さぞご心痛のこととお察しいたします。
亡くなられた娘さんとの2ショット画像や、その娘さんがフリースローをしようとする真剣な表情が、お父さんであるコービー選手そのままだったことなど、思い出すと今でも胸がしめつけられます。
訃報が報じられて以後、世界各地で非常に多くの方々がそれぞれの形で哀悼の意を示されたのが、SNSやテレビで紹介され、当店では特に twitter で、色々な人達の様々な悼み方、弔い方をリツイートしてご紹介してきました。
また、当店におきましては哀悼の意を込めて、ブログのタイトル画像をこれまで扱ってきたコービー選手のグッズに変えました。
今シーズンいっぱいまでは、このままにしようと思います。
本来ですと、当店とコービー選手とをつなぐグッズを介して、当時のことをお話するのがいいのかも知れませんが、当時は同業他社の方々が数多く扱っていたため、タイトル画像をご覧の通り、あまりお仕事(グッズ)でのご縁が少なく、最終的には当店のお話になってしまうので、少し騒がれた背番号の話とそこから当店はどうするのかについてだけ、お話させていただければと思います(※ファンの方がその当時の思い出話を書くのは、良い事だと思っています)。
背番号の#8や#24を返上して弔意を示す選手が現れ、いつしかそれをしないと弔意が示されていないのではないかという空気が濃くなっていったのは、記憶に新しいところです。
騒がれた内容を見ていて、個人的には「結果を評価するのか、過程(気持ち)を評価するのかのちがい」のように思いました。
つまるところ、コービー選手に敬意や哀悼の意を込めてする行為であれば、意味合いに重みが増した背番号を背負ってそのまま使用する、または偲んで返上するといった背番号だけに留まらず、アリーナ前に献花する、悲しみをツイートすることなど、どんなことも許容されるべきだと思うのです(無論、それをすることで他人に迷惑をかけてしまうことは、やめたり改善しなくてはいけませんが)。
ただ、どんな気持ちで、というのは目に見ないことがほとんどですので、結果だけがその動機・行為の評価対象となってしまい、すれ違いのような物から、少し騒がれてしまったのではないかと受け止めています。
人生に正解はないと言いますが、これに通じるような漠然とした哲学や、気持ちのあり方の問題のように感じられ、では当店は何をもって正解とするのかを考える、いい機会にもなりました。
つづきます。