私には、好きな人がいる。
その人は本が好きで、古道具屋の店主で、商品の話をしているときは子どもの様に目を輝かせる。そのときのあの人は、とても可愛い。もちろんそれ以外の冷静だったり、でも予想していない状況に陥ると固まってしまうところも可愛くて好きなのだが、やはりこのときの笑顔が一番好きだ。その笑顔は、私がどんなに落ち込んでいても、どんなに悲しくても、どんなに辛くても、私を笑顔にしてくれる。そう、私にとってあの人の商品語りを聴いている時間は、時を加速させることはもちろん、時を止めることも時の流れを遅くすることすらもったいなく思える。そんなことをすれば、あの人と同じ時間の流れを共有出来なくなってしまうから。どこかの物書きは、「店主の話は適当に切り上げないと中々終わらない」と言っていたが、誰がこの幸福な時間を適当に切り上げようと言うのだろうか。幸福がいつまでも続けばいいと思うのは誰でも同じ。もちろん私だってそうだ。この幸福な時間を自ら終わらせるなんて、愚の骨頂だ。だから私は、そんなあの人の話は時間が許す限りいつまでも聴いていたいと思う。嬉しいことに「店主の話は適当に切り上げないと中々終わらない」ので、私から切り上げなければ終わることは無いようなものだ。そして私には、話を切り上げるつもりは無い。だからいつまでも聴いていられる。偶然にもお嬢様は主に夜間に活動なされるので、お嬢様のメイドとしての仕事は夜だけで済む。そんな嬉しい偶然のおかげで昼は毎日あの人の話を聴いている。長いけれども解りやすいあの人の話を何回も何回も聴いているので、いまやあの古道具屋の商品ほとんどの構造や材料、製法に用途、効果が引き出される要因ぐらいなら完全に理解してしまった。そのおかげであの人の商品の話を聴いているだけではなく、商品について話し合うことも出来るようになった。きっと私は二番目にあの古道具屋の商品について詳しい筈だ。一番目はもちろん私の好きな人、森近霖之助さんだ。あの古道具屋、香霖堂の商品のほとんどは理解したが、それでもあの人の足元にも遠く及ばない。だから、私は香霖堂へ毎日通って商品の話をあの人としている。商品の話をしていると、あの人と私は商品の改良の仕方を思いついたりすることが多々あり、2人で一緒に材料のことを話し合ったり改良のための設計図を描いたりして、それらが決まるとにとりを呼び、製造を手伝ってもらったりしている。私はあの人と随分仲良くなった。でも、あの人はとある少女と仲がいい。魔法使いのような格好をした…いや、もしかしたら魔法使いかも知れない少女。霧雨魔理沙。あの人はいつも魔理沙の事を見ている。だから、私の想いは届かない。届けたいけれども、あの人は魔理沙のほうを見ている。だから届かない。――だから、私の想いは伝えない。伝えてしまったら、どうなってしまうのかが怖いから。私の恋は、ここで終わってしまうんだ。伝えて幸せを失うなら伝えないほうがいい。幸せを、壊したくないから。

                                               ◇

「いらっしゃい。今日は客かい?それとも店員かい?」
「今日は店員で、客です」
ハタから見れば意味の解らないやりとりかもしれないが、これはちゃんと意味のある会話だ。私はこの店を客として利用することもあれば、店員として働くこともある。なので今日はどっちの立場でこの店に来たのか、ということを訊いたやりとりだ。この香霖堂には商品がたくさんあり、それを森近さん1人で掃除をするのはとても大変なのだろうから、時間を操る程度の能力を持つ私が掃除をしている。森近さんからエプロンとハタキを借りて時を止める。もともと掃除をするのが好きなので、この能力のおかげ時間を気にせずで細かいところまで丁寧にはたいていく。あらかたはたき終わったので雑巾を水の入ったバケツに入れ、絞る。完全で瀟洒なメイドたるもの、雑巾をかけている時も美しくなければならない。そうでなくとも、女子であるなら綺麗でなくてはならない。ましてや、想いを寄せる人のすぐ近くにいるのだ。時間操作で時間が止まっているとしても、みっともない格好なんて出来っこない。…そういえば最近、この能力が掃除専用と化してきているような気がするが、森近さんの役に立てているのならばそれで充分だろう。と、そろそろ掃除は終了か。能力を解いて森近さんに掃除の終了を告げる。彼はありがとうと私に礼を言い、席を立った。私は今着ているエプロンを脱いでハタキと一緒に彼に渡す。それを受け取った彼は向こうの倉庫へ向かい、掃除用エプロンとハタキを置いて店番用エプロンを持ってきた。掃除用エプロンと店番用エプロンの主な違いは実用性重視か見た目重視かだ。彼は掃除用と店番用と分けるつもりは無かったが、見た目が華やかな方がお客様も興味を持たれるのでは?と、意見を言ってみたところ、彼は私にどんなのが着てみたいか訊いてきた。ここは、着る機会は無いけどずっと前から着てみたいと思っていた思いっきり可愛いのを提案してみるしかない。なんて理由でとても可愛いと思うハートエプロンというものを彼に説明した。すると彼は倉庫へ向かい、ハートエプロンを探し始めた。だがいくら色々な物がある香霖堂でも、無いものだって少なくはないらしい。彼が何も持たず戻ってきたところを見るに、どうやら無かった様だ。知らずのうちに残念そうな顔をしていたのか、彼はそんなに落ち込まないでと言い、同時にボクが作るよとも言ってくれた。そんな経緯があって生まれたのがこの店番用ハートエプロンだ。自分の大好きなデザインで、自分の大好きな人が作ってくれた物がハートエプロンだ。それを今着ているのだから、嬉しいやら誰かに見られたらどうすればいいか解からないやらでどうにかしてしまいそうだ。この店が客足が少なくてよかったと心から思う。彼と2人っきりの時間も増える。本当に自分は幸せモノだ。などと考えていたら、彼が立ち上がり
「それじゃ、お茶とお菓子でも持ってくるよ。咲夜、甘いのとしょっぱいのだとどっちがいい?」
「あ、甘いのでお願いします」
反射的に答えてしまった。たまにはしょっぱい物も食べようと思うのだが、ついつい甘い物を頼んでしまう。美味しいので文句は無いのだが、いつもいつも甘い物を食べていては完全瀟洒足りえない。たまにはしょっぱい物を頼んで森近さんに私が完全瀟洒でオトナなメイドであることをアピールしなければと思う反面、その程度で瀟洒アピールなんて出来る筈が無いとも思っている。結局は、美味しいし森近さんと一緒に食べられるしいいか。と纏めてしまうが。彼が戻ってくるまで少しあるので私は手を洗うことにする。しばらくして彼が戻ってきた。今日のお菓子はドーナツらしい。そして急須も持ってきていた。中身は緑茶で、ドーナツと組み合わせるのは如何な物かと思ったが、両方美味しかったので特に問題はなかった。お菓子を談笑しながら食べ、それなりに暇は潰せた。だがしかし客は来ず、また夜も来ない。彼が暇を持て余しているのを見て、一つ。思いついた。
「倉庫を見てきます。なにか暇を潰せそうな物があったら、持ってきましょうか?」
「そうだね、持ってきてくれ。咲夜が暇潰しを探している間はボクが店番をしてるから。はい鍵」
今現在、倉庫の中を探している。見た目は小さいが、意外と物がたくさんある。この中から暇の潰せそうな物か、使い方の解らないものを見つけて持っていこう。何かないかと探していたら、あった。面白そうなものが。名前も使い方も知らないが、なんとなく惹かれるものがある。早速これを彼のところへ持っていこう。
「森近さん。これは何でしょうか?」
彼はまじまじと私の持っているそれを見る。別に私が見られている訳でも無いのに照れてしまう。なんだか少し暑くなって来た様な気がする。
「これは、人生ゲームと言うらしい。暇を潰したり、楽しんだりするために使うらしい。お、これは説明書か」
説明書のルールを読み、ゲームを始める。もちろん、いつ客が来てもいいように店のカウンターでやることにする。と言っても、店内で暇潰しをしている店というのは如何なものだろうか?それよりも今は、暇を持て余しているであろう彼を楽しませるのが先だ。それにしてもこのゲーム。彼の車が結婚のマスに止まると悲しいやら恨めしいやら…。だというのに彼に子どもまで出来てしまうともう発狂しそうになる。そんな状況でまともに戦略を練れる筈も無く、泥沼人生に嵌ってしまうかと思いきや、意外と贅沢な人生を私は過ごしていけている様だ。それに対して彼の人生は、まさに踏んだり蹴ったり。いや、むしろ泣きっ面蹴ったりという感じか。結婚相手に金も子どもも奪い取られ、借金だらけの悲惨な人生だ。
「全く、私と結婚していれば頑張って幸せにしたものを…」
「え? 何か言ったかい? よく聞こえなかったけど?」
「え゛! 私何か言いましたか?!」
思考に集中していたのだろうが、あまりにも迂闊だった。…まさか私が、
「思ったことがすぐに口に出る人間だったとは…!!」
と、いけないいけない。ここは人生について深く考える時間だ。彼がキョトンとした顔で「何かあったの?」と訊いてきたが、何かありましたか?と返す。ところで彼は、何故キョトンとしているのだろうか?全く何があったのか心当たりが無いのが少し怖いが。本当に、完全瀟洒とは難しいものだ。おっと、人生ゲームは私の番だ。勝ち負けよりも楽しむことを前提にしている戦いなので時間操作によるルーレットの操作はしない。まぁ、もともと卑怯なのは好きではないからイカサマをすることは生涯ないのだろう。だんだんと減速していくルーレットに視線を注いで、やがてルーレットは止まった。針は4を示している。何回も幸運を味わい続けていると、たまには不運に見舞われたいと思うのはエゴなのだろうか。次の地が、果たして私にとってのいつも通りの幸運となるか、特別な不幸となるか。たとえ何が待っていたとしても、私は駒を進めよう。次の町(マス)は、私に何をもたらすのだろうか。
「あ、あがりです」
それは、私に終わりをもたらした。人生における終わりとはなんだ。生きとし生けるものその全てに平等な終わりとは、そうだ。死しかない。しかし平等と云っても、この違いはなんだろう?私の人生には障害は無かった。だが同時に楽しみも無かった。そう、生きていることに喜びが無かったのだ。だが、彼の人生はどうだろう?妻と思っていた女には裏切られ、子どもという宝も、金という手段すらも根こそぎ奪われている。それなのに彼は何だかんだいって人生を堪能し尽している。そうだ。そうなのだ。人生を楽しみつくすためには、幸福に生きていくためには不幸が必要なのだ。と、話が逸れた。私が言いたいことは
「誰に見送られる事もなく逝く、か」
何故だろうか。口の中にしょっぱい味が広がる。え?泣いてなんかいませんよ?結婚して可愛い子ども作ってなんて考えていません。その相手が森近さんだなんてそんな恐れ多い事考えてまともにここに座っていられると思っているのですか?べつに結婚のマスに止まった時に、彼に聞こえるか聞こえないかぐらいの大きさで「どうせなら、森近さんとが良かったのに…」って言ってときめいて貰うつもりなんて全然ありませんから…!
「咲夜、とりあえず落ち着いて。そして座ろうか」
え?立ってましたか、私?とりあず席に着く。森近さんはゴール手前で二回休みを食らっている。二回も何も、対戦相手の私はもういなくなってしまったから休みも何も無いのだが。彼は回したルーレットを無言でひたすら見詰め、私もそんな森近さんを無言で見詰め。これは結構奇妙な状況ではないのだろうか。大人2人が無言で人生ゲームとは…
「おっ邪ー魔すーるぜーっ!!! あれ? お前ら何やってるんだ?」
そんな疑問と共に来店した少女の名は霧雨魔理沙。幻想郷でもかなりの有名人だ。彼女のことに関しては主にパチュリーから聞いた。というよりも、聞いてもいないのに語り始めたような節もあるが。
「いらっしゃいませ。本日は何の御用でしょうか?」
紅魔館仕込みの、本場の接客を彼女――霧雨魔理沙に魅せ付ける。紅魔館では少しケンカ腰に対応しているが、ここは香霖堂。大好きな彼の店なのだ。そうでなくとも、ここで働く者として彼に迷惑を掛けたくは無い。だからこその完全瀟洒…!
「あれ?咲夜、紅魔館で会った時と対応違くないか?」
痛いところを突いてくる。私は彼に状況で態度を変える嫌な女とは思われたくない。だからこその完全瀟洒な対応を…!
「そうですか?対応を変えているつもりはありませんが」
「いや、なんて言うかさ。その、すごく…嬉しそうなんだよな。紅魔館でのときが不機嫌って訳でもないけど、ここだと咲夜がイキイキしてる。むこうだと完璧すぎて人間味がないんだよ」
確かに、彼の近くにいると到底まともではいられない。でも、それぐらいが丁度良いのだろうか。
「そうそう、ここに来た理由だけどさ。今夜、花火大会あるんだぜ。それを香霖に伝えようと思って。あと咲夜、そっちのお嬢様にも伝えておけよー。じゃーなー!」
そういって彼女は店を出るなりどこかへ行ってしまった。しかし、花火大会があるのか。お嬢様たちのお守りとなりそうだが、きっと彼には会えない。一番一緒に見たい人と見れない花火は、なんて悲しいのだろうか。
「そだ、香霖。なんかお子様用の浴衣ないっ?」
いつの間にか戻ってきた魔理沙。騒々しいったらない。