「おはよう、いい夢は見れた?」
見れてない。
そんなものが見れていたら、私はこんなところにはいない。
「やっぱり、君は素直だね」
素直じゃない。
そんな良い子だったら、私はこんなことしてはいない。
「君は、恋をしたことはある?」
私は、君が好きだった。だから、私はこんなことをしているんだよ。

一九九六年 六月十四日。
一人の男子生徒が、屋上から転落死した。
その男子生徒が落ちた場所は中庭で、今でも彼の血痕は中庭に残っている。
今は既に黒く変色してしまったが、それでも彼の生きた証とも言える。
彼の死によって中庭は立入禁止とされていて、それに加えまだ朝早くということもある。
中庭には誰もいない。それは彼女にとって都合が良かった。
彼女は立入禁止であることを無視し、中庭へ入っていく。
彼女は黒く残った染みの中心に足を運ぶと、そこで腰を下ろした。
語り掛ける。落ちていった彼に、話したかった事全部。
好きなアーティストの話、三毛猫についての談義。それはどれも他愛の無い話だったが、
残された彼女にとって、いなくなってしまった彼との唯一の時間だった。
彼女はしばらく語り続けたが、もうすぐで誰かがこのあたりにやってくるだろう。
立ち上がり、彼に別れを告げる。また明日も会いに来ると残し、彼女は教室へ戻っていった。
手向けたのは花では無く、言葉で。
立入禁止は、まるで2人のその時間を誰も侵す事の出来ないよう立塞がっていた。

飛び降りた彼には、想いを寄せる人がいた。
それが、彼女だった。

初めて、心許せる友人が出来た。
彼女には、心を許せる友達という者が1人もいなかった。
かといって、それが苦になる訳でも無く、なにより彼女自身が友人を欲しいとは思っていなかった。
だから学校では授業中以外はやることが無く、暇を持て余していて。
その日は、珍しく彼女は机に突っ伏して眠っていて、授業開始のチャイムに目を覚ますと
「おはよう、いい夢は見れた?」
唐突に、彼にそう聞かれた。
その言葉が全ての始まりだったのか、2人はよく話をするようになっていった。
彼女には他にすることが無いので、時間のあるときはいつも彼と話していた。
彼もまた、彼女と同じで、唯一心を許せる相手に、恋情を抱くのもそう不思議なことでもなかった。
次第に2人の会話の時間は増え、2人はやがて学校以外でも会うようになった。
それは必然のことで、2人の恋慕はそれを境に更に加速して行った。
お互いの存在がお互いの中で大きくなって行く。
信じることの出来る人は、お互いだけだったから。
純粋に、2人は想い合っていた。
彼が彼女を褒め、彼女はありがとうと返し、
「やっぱり、君は素直だね」
彼は言った。心が暖かくなる様な笑顔で彼は言った。
彼が何の前触れも無く言った、
「君は、恋をしたことはある?」
あのとき、彼女は答えることが出来なかった。
曖昧にするしか、出来なかった。
だって、その恋の相手が目の前に居たから。
それは、初めて誰かを必要としたと気付き、
初めて、心から好きな人が出来た。

彼がいなくなってから、一体どれだけの時間が経ったのだろうか。

屋上に彼女はいた。
立入禁止。ここも2人だけの世界だった。
あの日、彼がいたであろう場所。屋上と空中のボーダーライン。
彼女には既に、生きる意志が欠け落ちていた。
彼は、彼女の生きる理由そのものだったから、
「今、そっちに行くね」
呟き、微笑みと共に。彼女は、ボーダーラインを踏み越えた。
全身に風を感じる中、不思議と彼がそこにいる気がした。
今なら、彼は答えてくれるかもしれない。だから、
おやすみ、いい夢は見れるの?
「見れるよ。」
「それが見たいから、ボクはこっちに来たんだ」
意外と、アナタは素直なんだね。
「違うよ。」
「そんな人間だったら、ボクはここにいない」
君は、恋をしたことはあるの?
「ボクは――――――――




































ぐちゃり。

一九九六年 六月二十日。
一人の女子生徒が、屋上から転落死した。