ポポは高校に入学してから、毎日英語の予習・数学の復習と
勉強を始めました。
定期テスト前は、私が数学の予想問題をつくりました。
すると高得点がとれました。
中学の時はあれ程嫌いだった数学が面白くなったようでした。
ポポに言わせると、
中学の数学の勉強は表面的で全く深みがないそうです。
しかし高校では一つの単元をより深く掘り下げて学ぶので
意味が分かるのだとか。
ポポの数学に対する姿勢が変われば、
こちらも教えるのにやぶさかではありません。
私は嬉々としてポポちゃんに好きな数学を教えました。
逆に弟ピカに数学を教える事はほとんどありませんでした。
私などが教えなくとも、彼はいつか自分で行きつくだろうと
思ったからです。
一方、ポポは高校になってやっと数学を受け入れようとしたので、
基礎力が全くありません。基礎を補てんしながらの勉強です。
それはとてもポポらしい学習の仕方だと笑いたくなります。
数学でポポは分からないところが分かるようになる喜びを
知ったのだと思います。
それは美術部で創作活動に苦しむポポに希望を与えました。
高校2年のある日、私にこう言いました。
「おかん、私、美術理論を勉強したい。
だから大学は服飾の専門大学ではなく芸術大学の理論を
教えてくれるところに行きたい。」
幼い頃泳ぎの練習をして、ポポはがむしゃらに身体を動かす
行動派でピカは頭で考える理論派だと言いました。
二人の違いは情報の取り込み方の違いによるものですが、
いつも同じやり方ではなく本人が必要性を感じたときに
変えて行くものだと。
私はその時が来たと思いました。
ポポは小さい頃から物作りという多くの行動の末に、
ようやく理論を欲したのです。
創作に詰まれば次の一歩を踏み出すのに理論が必要である
という事に自ら気づいたようです。
行動と理論を、芸術と学問と言い換えても意味は変わりません。
芸術と学問はアウフヘーベンを繰り返しながら、
互いに発展していくのです。
しかし必ず芸術(行動)が先行しなければならないと
私は考えています。
余談ですが、私が算数を教えるのにお菓子作りやフェルトボール作り
といった行動(実体験)をセットにするのはその意味からです。
また情報の取り込み方はその子の時期によって違うようです。
たまたま成績をはかる学生の時期に理論派であれば
その子は賢いと判断され、行動派であれば勉強は向かないと
判断されてしまうのです。
そう考えると、私を含めた大人の早計ぶりにはあきれますね(笑)
ポポはこうも言いました。
「日本の美術の授業って、描きたくもない絵を描かせたり
粘土で造形させたりするでしょ。
そんなのが好きな人はごく一部でほとんどの人は嫌がってる。
夏休みの宿題とかで強制するからみんな大嫌いなのよ。
だから嫌々実習するよりは、美術品の鑑賞力を磨いた方が、
その人の一生の教養になると思うの。
フランスでは、絵を見る力を小さい頃から養うために美術館に
連れて行って実際手にとってさわったりできるんだから。
私はそんな美術教育をしてみたいの。」
私はびっくりたまげました。
正直小学校の時は、勉強とは無縁だから手に職をつけてあげなければ
との思いでした。
それがこんなにすごいことを考えていたなんて。
子供は侮れないですね。恐るべし、ポポでした(笑)
写真は私とポポの添削ノートです。

ポポは次第に数学の力をつけて行きました。
ポポは数学記号のフォルムがかわいいと言っていました。
お気に入りは、コサイン、インテグラル、シータなどの
やわらかいものです。
なんでも視覚から入るのは変わりませんね。
(ちなみに高名な数学者が書いた本に、
数学記号を飽きるほど練習しろとありますよ。
数学記号には洗練された情報が詰まっています。
最先端の世界では、芸術と学問は同じだったりして)
<つづく>
勉強を始めました。
定期テスト前は、私が数学の予想問題をつくりました。
すると高得点がとれました。
中学の時はあれ程嫌いだった数学が面白くなったようでした。
ポポに言わせると、
中学の数学の勉強は表面的で全く深みがないそうです。
しかし高校では一つの単元をより深く掘り下げて学ぶので
意味が分かるのだとか。
ポポの数学に対する姿勢が変われば、
こちらも教えるのにやぶさかではありません。
私は嬉々としてポポちゃんに好きな数学を教えました。
逆に弟ピカに数学を教える事はほとんどありませんでした。
私などが教えなくとも、彼はいつか自分で行きつくだろうと
思ったからです。
一方、ポポは高校になってやっと数学を受け入れようとしたので、
基礎力が全くありません。基礎を補てんしながらの勉強です。
それはとてもポポらしい学習の仕方だと笑いたくなります。
数学でポポは分からないところが分かるようになる喜びを
知ったのだと思います。
それは美術部で創作活動に苦しむポポに希望を与えました。
高校2年のある日、私にこう言いました。
「おかん、私、美術理論を勉強したい。
だから大学は服飾の専門大学ではなく芸術大学の理論を
教えてくれるところに行きたい。」
幼い頃泳ぎの練習をして、ポポはがむしゃらに身体を動かす
行動派でピカは頭で考える理論派だと言いました。
二人の違いは情報の取り込み方の違いによるものですが、
いつも同じやり方ではなく本人が必要性を感じたときに
変えて行くものだと。
私はその時が来たと思いました。
ポポは小さい頃から物作りという多くの行動の末に、
ようやく理論を欲したのです。
創作に詰まれば次の一歩を踏み出すのに理論が必要である
という事に自ら気づいたようです。
行動と理論を、芸術と学問と言い換えても意味は変わりません。
芸術と学問はアウフヘーベンを繰り返しながら、
互いに発展していくのです。
しかし必ず芸術(行動)が先行しなければならないと
私は考えています。
余談ですが、私が算数を教えるのにお菓子作りやフェルトボール作り
といった行動(実体験)をセットにするのはその意味からです。
また情報の取り込み方はその子の時期によって違うようです。
たまたま成績をはかる学生の時期に理論派であれば
その子は賢いと判断され、行動派であれば勉強は向かないと
判断されてしまうのです。
そう考えると、私を含めた大人の早計ぶりにはあきれますね(笑)
ポポはこうも言いました。
「日本の美術の授業って、描きたくもない絵を描かせたり
粘土で造形させたりするでしょ。
そんなのが好きな人はごく一部でほとんどの人は嫌がってる。
夏休みの宿題とかで強制するからみんな大嫌いなのよ。
だから嫌々実習するよりは、美術品の鑑賞力を磨いた方が、
その人の一生の教養になると思うの。
フランスでは、絵を見る力を小さい頃から養うために美術館に
連れて行って実際手にとってさわったりできるんだから。
私はそんな美術教育をしてみたいの。」
私はびっくりたまげました。
正直小学校の時は、勉強とは無縁だから手に職をつけてあげなければ
との思いでした。
それがこんなにすごいことを考えていたなんて。
子供は侮れないですね。恐るべし、ポポでした(笑)
写真は私とポポの添削ノートです。

ポポは次第に数学の力をつけて行きました。
ポポは数学記号のフォルムがかわいいと言っていました。
お気に入りは、コサイン、インテグラル、シータなどの
やわらかいものです。
なんでも視覚から入るのは変わりませんね。
(ちなみに高名な数学者が書いた本に、
数学記号を飽きるほど練習しろとありますよ。
数学記号には洗練された情報が詰まっています。
最先端の世界では、芸術と学問は同じだったりして)
<つづく>