人はどんな時にその才能を伸ばすことが出来るのでしょうか?
私は正当な評価ではないかと思います。
子供を誉めて伸ばすとはよく言われる言葉ですが、
誉める行為に裏があるのなら、
それは子供には伝わらないと思います。
伝わらないどころか逆効果です。
私は数学の考え方が好きなのですが、
どこが好きかというとある一つの視点からの
見かたをするところです。
たとえば空間上にある点の位置を特定しようとした場合、
X軸方向、Y軸方向、Z軸方向の3つの視点をもちます。
その3つの視点の交わった部分で広い空間に
ある点を特定することができるのです。
何が言いたいかというと、
私は娘から創られた作品だけを切り離して
評価してきたという事です。
誉めることで娘を調子づかせようといった姑息な考えがあれば、
洞察力の鋭いポポの事ですから、
私に作品を見せようとはしなかったでしょう。
小さい頃は、「おかんをもっとびっくりさせたい。」という
気持ちが日々作品づくりの原動力になったようです。
大人になったポポが言っていましたが、
ポポの友達の年賀状の絵を私がほめたことがありました。
そのとき悔しくて心底絵が上手になりたいと思ったということです。
親子といえども人間と人間のぶつかりあい。
本音の関わりあいのすったもんだ。
そしてそれこそが互いの自己表現を高めて行くのだと思います。
自己表現といえば、ポポの音楽鑑賞の感想文のプリントを
見つけたときには絶句しました。
題名「天国と地獄」を鑑賞しての欄に書かれていたのは、
字ではなく絵でした。
なんでもネズミのオスがメスにバラの花束をひざまずいて捧げ、
プロポーズするところから話ははじまります。
しかしメスはオスをふるのです。うなだれるオス。
しかしあの手この手でメスにせまります。
とうとう観念したメスはオーケーをだしてめでたく結婚するのです。
この一連のお話を数行の感想欄にびっちり小さい絵で表現していました。
学校では何もしゃべらないおとなしいポポが、
この自由な発想をそのまま描いたのだと思うと、
本当に自己表現とはなんてすばらしいのかと思いました。
また曲名「ジュピター」の感想欄には、
絵で表現するのが飽きたのか、今度は字で書いてありました。
「お笑い芸人がお笑いで天下をとった感じがする曲。」と。
そういえば小学6年の時に、校長先生が児童一人一人に
好きな言葉を趣味の切り文字で書いてくださり
その展示にいったときのことです。
多くの児童は、「愛」「友情」「夢」「希望」・・・
といった言葉だったのですが、ポポのは、「職人」とありました。
その理由の欄に
「職人というと物作りにたましいをこめる感じがするから。」だそうです。
校長先生が言われました。
「私は長い教師生活の中で、職人という言葉は初めてでしたよ。
ユニークなお子さんですね。」(笑)
私はとても嬉しくなりました。
「ありがとうございます。はい、とてもユニークです。」
手先の器用なポポには、将来はお針子さんがいいのではないかと
思っていました。
高校は専門の学校に行って卒業後には修行にいけばいいよね。
と思っていたので、勉強はできなくてもよいと考えていました。
ある個人懇談の日、先生が全国統一テストとかいうテスト結果を
見せてくれました。
(全国統一?何それ。)と思いながらも点数は、
算数32点、国語36点でした。
(えっ、36点?これって小学生の点数にしては低くない?
いやもしかしたら、50点満点かもしれない。
それだと6割なのでまあまあかぁ)と思い、先生に質問しました。
「あのう、このテストって何点満点ですか?」
先生はとても言いにくそうに
「あー、100点ですねぇ。」
「えっ、100点?」
あたりまえです。
生れてこのかた100点満点以外のテストを受けたことは
ありませんよね。
私は力なく
「そうですかぁ。」と肩を落としました。
(ここまでとは。)正直全く勉強に期待していなかったので、
何点でもいいはずなのに、得も言われぬショックっていうものですね。
自分の出来が悪ければ、発奮して頑張ればいいのですが、
我が子のことなので、ただただ落ち込みました。
私は小学1年生の時に、テストで0点をとったことがあります。
何故かそれを丸めて机の奥に突っ込んでいたのですが、
親に見つけられこっぴどく叱られたという経験をしています。
私は叱られながら、とても不思議でした。
だって私の成績と親にどんな関係があるのだろう?
なんで親は怒るのだろう?と思ったので、
私は子供の成績の悪さで怒ることはしないようにしていたのですが、
ポポの成績を見せられて怒りというより、
どんよりした疲れがおそってきました(笑)
(ポポには勉強は向かない。ポポは職人になるんだ!!
それでいいじゃないか。みんなそれぞれ向き不向きがあうのだから。)
それは長い間私を支配することになったポポに対する思い込みの
始まりでした。
また2学年下のピカは、
豊富な読書量からかポポの知識のはるか上を
いっていたので、兄弟ふたりを勉強という同じ土俵に
立たせたくなっかたというのもありました。
写真はポポの作ったケーキ屋さんです。
ケーキの直径は1センチもありません。
ポポの宇宙がつまっています。

<つづく>
私は正当な評価ではないかと思います。
子供を誉めて伸ばすとはよく言われる言葉ですが、
誉める行為に裏があるのなら、
それは子供には伝わらないと思います。
伝わらないどころか逆効果です。
私は数学の考え方が好きなのですが、
どこが好きかというとある一つの視点からの
見かたをするところです。
たとえば空間上にある点の位置を特定しようとした場合、
X軸方向、Y軸方向、Z軸方向の3つの視点をもちます。
その3つの視点の交わった部分で広い空間に
ある点を特定することができるのです。
何が言いたいかというと、
私は娘から創られた作品だけを切り離して
評価してきたという事です。
誉めることで娘を調子づかせようといった姑息な考えがあれば、
洞察力の鋭いポポの事ですから、
私に作品を見せようとはしなかったでしょう。
小さい頃は、「おかんをもっとびっくりさせたい。」という
気持ちが日々作品づくりの原動力になったようです。
大人になったポポが言っていましたが、
ポポの友達の年賀状の絵を私がほめたことがありました。
そのとき悔しくて心底絵が上手になりたいと思ったということです。
親子といえども人間と人間のぶつかりあい。
本音の関わりあいのすったもんだ。
そしてそれこそが互いの自己表現を高めて行くのだと思います。
自己表現といえば、ポポの音楽鑑賞の感想文のプリントを
見つけたときには絶句しました。
題名「天国と地獄」を鑑賞しての欄に書かれていたのは、
字ではなく絵でした。
なんでもネズミのオスがメスにバラの花束をひざまずいて捧げ、
プロポーズするところから話ははじまります。
しかしメスはオスをふるのです。うなだれるオス。
しかしあの手この手でメスにせまります。
とうとう観念したメスはオーケーをだしてめでたく結婚するのです。
この一連のお話を数行の感想欄にびっちり小さい絵で表現していました。
学校では何もしゃべらないおとなしいポポが、
この自由な発想をそのまま描いたのだと思うと、
本当に自己表現とはなんてすばらしいのかと思いました。
また曲名「ジュピター」の感想欄には、
絵で表現するのが飽きたのか、今度は字で書いてありました。
「お笑い芸人がお笑いで天下をとった感じがする曲。」と。
そういえば小学6年の時に、校長先生が児童一人一人に
好きな言葉を趣味の切り文字で書いてくださり
その展示にいったときのことです。
多くの児童は、「愛」「友情」「夢」「希望」・・・
といった言葉だったのですが、ポポのは、「職人」とありました。
その理由の欄に
「職人というと物作りにたましいをこめる感じがするから。」だそうです。
校長先生が言われました。
「私は長い教師生活の中で、職人という言葉は初めてでしたよ。
ユニークなお子さんですね。」(笑)
私はとても嬉しくなりました。
「ありがとうございます。はい、とてもユニークです。」
手先の器用なポポには、将来はお針子さんがいいのではないかと
思っていました。
高校は専門の学校に行って卒業後には修行にいけばいいよね。
と思っていたので、勉強はできなくてもよいと考えていました。
ある個人懇談の日、先生が全国統一テストとかいうテスト結果を
見せてくれました。
(全国統一?何それ。)と思いながらも点数は、
算数32点、国語36点でした。
(えっ、36点?これって小学生の点数にしては低くない?
いやもしかしたら、50点満点かもしれない。
それだと6割なのでまあまあかぁ)と思い、先生に質問しました。
「あのう、このテストって何点満点ですか?」
先生はとても言いにくそうに
「あー、100点ですねぇ。」
「えっ、100点?」
あたりまえです。
生れてこのかた100点満点以外のテストを受けたことは
ありませんよね。
私は力なく
「そうですかぁ。」と肩を落としました。
(ここまでとは。)正直全く勉強に期待していなかったので、
何点でもいいはずなのに、得も言われぬショックっていうものですね。
自分の出来が悪ければ、発奮して頑張ればいいのですが、
我が子のことなので、ただただ落ち込みました。
私は小学1年生の時に、テストで0点をとったことがあります。
何故かそれを丸めて机の奥に突っ込んでいたのですが、
親に見つけられこっぴどく叱られたという経験をしています。
私は叱られながら、とても不思議でした。
だって私の成績と親にどんな関係があるのだろう?
なんで親は怒るのだろう?と思ったので、
私は子供の成績の悪さで怒ることはしないようにしていたのですが、
ポポの成績を見せられて怒りというより、
どんよりした疲れがおそってきました(笑)
(ポポには勉強は向かない。ポポは職人になるんだ!!
それでいいじゃないか。みんなそれぞれ向き不向きがあうのだから。)
それは長い間私を支配することになったポポに対する思い込みの
始まりでした。
また2学年下のピカは、
豊富な読書量からかポポの知識のはるか上を
いっていたので、兄弟ふたりを勉強という同じ土俵に
立たせたくなっかたというのもありました。
写真はポポの作ったケーキ屋さんです。
ケーキの直径は1センチもありません。
ポポの宇宙がつまっています。

<つづく>