私の子育てはこのブログにも示したように、

周囲から見るとかなりの手抜きでした。

もともとの性格もありますが、妊娠中にニュースで

難民船の中での出産を耳にしてから、

「なーんだ、どんな状況でも人って生きる事ができるんだな。」

といつものように自分に都合のいい解釈をして、

そんなに神経質になることもないかっという気になったのです。

「もともと子供には生きる力があって、

それを親は邪魔さえしなければいいんだぁ。」

この考え方は私の子育ての指針の根底にありました。

最近、『かみさまとのやくそく』という映画を観たのですが、

とても合点が行くことが多かったです。

すべての子供はこの世に生まれてくる明確な目的が

あるそうです。

それは人の役に立つ事です。まず最初に、

自分の選んだママの役に立ちたいのです。

自分が生れることでママがよろこぶ。

そうやってママの役にたてたと

子供が喜ぶのです。選ぶママの一番人気は優しそうな人、

次に寂しそうな人だそうです。

寂しそうだから、自分が生れて元気づけてあげたいと。

なんと素敵な事なのでしょうか?

このように子供がママを選んでくれるのなら、

苦労も捨てたものではありませんね。

また子供たちはこの世の中で果たすべき使命のようなものが

あって生まれるようです。その使命は人によって違います。

私の二人の子供が小学校生の頃、

お金持ちになれば何がしたいかと聞いたとき、

19年間さなぎだった娘は、

(学校から帰宅して、今日誰とも口を利かなかった。

というのもしょっちゅうの頃)

「お金持ちになったら、貧しい人にお金を配ってあげて、

地球をきれいにするためにお金を使いたい。」

と言いました。

息子は、「一度札束で、ほっぺをぴちゃぴちゃってしてみたい。

そしたらどんな気分がするかためしてみたいんよ。」

と言いました。

二人の答えを聞いて大笑いでしたが、

どちらも素直にそう思っているのだと思いました。

娘の考えが優れているとか息子が劣っているということではなく、

彼らはそういうことをしてこの世の中を楽しみたいと思い、

生れて来たのですから、充分に楽しんでくれればよいと

思っています。

今は息子ピカの話をしますと、その成功欲・名誉欲のためか

貪欲に知識を吸収していきました。

知ることが楽しくてしょうがなかったようです。

それで身近にあった文字・数字のすごさに魅かれていきました。

今となっては私がしたしかけになるのでしょうが、

当時はお金がなくて上質なおもちゃが買えずに、

しかたなく手作りしたカレンダーや携帯電話のおもちゃが、

彼にとっては大きな知への誘いとしての効果を

発揮するようになったのです。

明日紹介しますね。


今日の最後によく私が子育て講座で言っている言葉を書きますね。

「親がどんな風に育てたいのかではなく、

 子供がどんな風に育ちたいのかを

 息をひそめて、

 目を凝らして

 耳をすませて

 観察できる母でありたい。」

 by上野 真弓

 
<つづく>