「佐月ちゃん? 佐月ちゃーん!」
階下で、お母さんの声が聞こえる。
私は渋々目を開けた。
ちらとベッド横に置いてある時計を見る。
十時半…そろそろ起きるか。
夏休みに入ってから、少し調子に乗って夜更かしをしてしまった。
でも、休みなんだからしょうがない。
伸びをしていると、ドアがノックされた。
「はぁい」
「…もう、まだ寝てたの? 夜更かしばっかりしてると夏休み後半に苦労するわよ?」
なんだか、毎年言われているような気がする。なので、例年通り、適当に答えておく。
「は~い。…それで、お母さんどうしたの?」
ゆっくりと上体を起こしながら尋ねた。どこかに出かけるのかな?
「遥子ちゃんが来てるわよ」
私は慌てて跳ね起きた。
「もうちょっと、もうちょっと待っててって言って!」
まだ顔も洗ってないし、寝癖だって付いている。私の髪はふわふわしていて、朝は結構苦労するのだ。
どうしよう、着る物だって選ばないといけないのに!
「もう…、どうせ遥子ちゃんなんだから、そんなに色々する必要も無いじゃないの」
お母さんは、全然分かってない。こんなぼさぼさの頭で出て行ったら、きっと笑われてしまう!
「そういう問題じゃないんだもん! いいから、早く遥子に言ってきてよぉ!」
なんとか部屋から追い出した。…さて、どうしよう…。
「おっそいよぉ、さつ。…もしかして、今まで寝てた?」
ぎくっと私は少し仰け反った。実にバレバレだ…。
「あはは、実はこっちまで筒抜けだったし、おばさんが色々言ってたけどね」
「えぇっ!!?」
私の顔が瞬間的に赤くなる。お母さん、何言ったの!?
「私は、別にぼさぼさでも構わないけどなぁ」
そう言いながら、私の髪の毛を触ってくる。そんなに時間をかけて梳かしてないから、少し不安になった。
「さつの髪、気持ち良い」
私は、自分の髪があんまり好きじゃない。正直、遥子の髪の方が羨ましい。
柔らかそうなのにシュッと締まった髪で、直毛で。
寝癖とかもあんまりつかないんだろうなぁ…。
でも、髪のことを褒められたのは、素直に嬉しかった。
「そっ、それで、何をしに来たの?」
私の言葉を受けて遥子の手が引っ込んだ。…もう少し黙っていればよかったかな。
「そうだった! 忘れてた。…あのさぁ、一緒に…」
ある意味、一番予想していなかった言葉が飛び出してきた。
遥子が家に来たときに、一度も言ったことが無かった言葉だったのだ。
それは…、
「一緒に、宿題をしよう」
「つまり、バイトで時間があんまり取れないから、前半でさっさと終わらせようと言うことね」
私は、部屋に遥子を通して話を聞いていた。
「私一人じゃやる気も続かないしわかんないし…。頼れるのがさつしかいないんだ!」
確かに遥子より成績は良いけど、人に教えられるかどうか分からなかった。
元々、クラスでも常に目立たない私は人に物を教える立場になったことが無い。
遥子相手だから、クラスの人たちよりはずっと安心だけど…。
頼れるのは私だけか…。そこまで言われてしまっては断るわけにはいかない。
「うん、わかった。頑張るよ」
「やったぁ! ありがとうさつ!」
そう言いながら遥子が飛びついてきた。
ガチャッ
タイミングよくお母さんが入ってきた。
「あらあら、あなた達いつ見ても本当に仲が良いのね」
机に麦茶を置いてくれる。しかし、私は固まっていた。
「高校生なんだから、早く彼氏の一人でも作りなさい。おほほほほほ」
言いたいことだけ言ってお母さんは帰っていった。
ぱっと遥子が抱きついていた腕を放した。
「相変わらず、おもしろい人だねぇ」
本当に苦笑するしかなかった。
「ね、ここなんだけどさ…」
私たちは、机を挟んで向かい合っていた。
それからしばらくの間、遥子は宿題に励んだ。
こうして、時々分からないことを私に聞いてくる。
自信は無かったけど、まとめておいたノートが役に立って、なんとか要領良く説明できた。
「あっ、そういうことかぁ~」
遥子は、大きく手を打った。
そして、机に突っ伏した。
私は慌てて聞く。
「どっ、どうしたの?」
しばらく黙った後、遥子はそのままの体勢で顔だけあげて私を見つめる。
「さつは…すごいなぁ。頭が良くて可愛くて。お淑やかで優しいし…私は、何をやってもがさつになっちゃうからなぁ」
いつもポジティブな遥子が何故か落ち込んでいた。
何とかして励まさないと…。
「…そんなこと無いよ。遥子はいつも凛としていてかっこよくて綺麗で…でも、時々おっちょこちょいで抜けてるところがあるけど、そこも可愛くて」
遥子を褒めることを言い始めたら、どんどん止まらなくなってきた。日ごろから感じていたコンプレックスや憧れの感情が一気にあふれ出す。
「それに、私はお淑やかなんかじゃないよ、優柔不断なだけだよ…。颯爽としてみたい…」
私たちは、お互いを見つめあった。
そこまで言って落ち着いたら、遥子が言った言葉がじわじわと効いてきた。
私が…可愛い?お淑やかで優しい?
遥子は私のことをそんな風に思っていた?
遥子の言葉が嬉しい以上に、申し訳無い気持ちでいっぱいだった。
全然そんなことないのに。生まれてこの方、一度も自分のことが可愛いなんて思ったこと無いのに…。
もやもやとした気持ちが溢れてきて、同時に自分が言った言葉も恥ずかしいことに気付いて、遥子から視線を外して私も顔を見られないように突っ伏した。
この空気…どうすればいいんだろう?私は完全に動けなくなった。
とても長く感じた沈黙の後、遥子が私の肩に手を置いた。
それだけで、魔法が解けて私は動けるようになった。顔を上げてみる。
かなり近くに遥子の顔があった。机から身を乗り出していた。
遥子の瞳に吸い込まれて、また魔法が掛かったように私は視線を外せなくなった。
遥子の綺麗な赤い唇がゆっくりと動く。
「私たちって、相思相愛? だったんだね」
言った後に、いつもの笑顔を浮かべる。
反面、私は心臓を鷲掴みにされたような気分だった。
動悸が止まらない。
相思相愛!?遥子も私のことを…好きってこと?
ででででっ、デートしたりきっ、キスしたり!?
思考が完全にパニックに陥っていた私を遥子は一発で冷静にしてくれた。
…まさに、冷や水を浴びせられたが如く。
「あれっ? 相思相愛? 持ちつ持たれつ? なんだっけ、こういうの」
あらゆる意味で絶句してしまった。
でも…、
「あははははは、遥子ってばびっくりさせないでよ。相性ぴったりとかでいいんじゃない?」
「うん、じゃあそれで!」
やっぱり、今はまだこの距離感で良い。残念な気持ちもあるけど、それ以上にホッとしてるから…。
「本当に、今日はありがとうね、さつ」
いつもの分かれ道。今日は良いという遥子を無視して、半ば強引に付いて来た。
なんだか、今は少しでも長く一緒にいたかった。
「まだ宿題残ってるでしょ? 大丈夫?」
私は、少しだけ期待していった。
「またさつに教えてもらうから大丈夫!」
いつもの笑顔を見せる。私はやれやれと言うジェスチャーをする。
勿論、ジェスチャーだけで、内心は嬉しい。期待通りだった。
遥子のバイトでいつも以上に会う機会が少ないから…。本当は毎日会いたいのに…。
実は、何度か喫茶店に入ろうとしたのだが…入れなかった。
それは多分、私の知らない遥子を見てしまうことが怖かったからかもしれない。
そうとは露知らず。この友人は、遊びに来てねと言ってさっさと帰ってしまった。
後に残された私は…とりあえず、遥子とデートに行くとしたらどこに行こうか考えながら帰路に就くのだった。