本日、新宿区立新宿歴史博物館で開催中の「新宿中村屋協働企画 新宿中村屋に咲いた文化芸術」を鑑賞。


本展の趣旨をフライヤーからの引用で紹介します。




~~以下引用~~




新宿駅前に本店を構える新宿中村屋。明治34年(1901)に文京区本郷でパン屋として創業し、明治42年から現在の場所を本店として営業しています。創業者の相馬愛蔵・黒光夫妻は、店の経営を行なうだけでなく、芸術や文化への理解・関心を持ち、明治末から大正期の文化芸術の支援者として大きな役割を果たしました。


中村屋には愛蔵と同郷の彫刻家萩原碌山をはじめ、彼の友人戸張孤雁、柳敬助、また碌山を慕う中原悌二郎、中村彝、鶴田吾郎などの若き芸術家たち、社会運動家の木村尚江、歌人の會津八一、演劇の松井須磨子や秋田雨雀、インドの独立運動家ラス・ビハリ・ボース、ロシアの盲目詩人エロシェンコなど、近代日本の文化芸術を語る上で重要な人々が集っていました。これらの人々との交友の世界は、後に「中村屋サロン」とも称されています。


本展では、中村屋サロンの芸術家、文化人たちと、作品にまつわるドラマを紹介します。




~~引用終了~~




中村屋と相馬夫妻を中心に芸術家、思想家、文化人、活動家達が蜘蛛の糸の如くネットワークを構築していた様子が伺えます。


展示品には萩原守衛(碌山)の「女」、中村彝の「エロシェンコ氏の像」といった貴重な美術作品とラス・ビハリ・ボース、近代右翼の超大物である頭山満と玄洋社、インド独立の殊勲者スバス・チャンドラ・ボース等の人物と、中村屋の関係を示す歴史的史料の二本立てでした。


どれも興味深く貴重なものですが、私が特別惹かれたのは「女」と犬養毅がラス・ビハリ・ボース宛に認めた直筆の礼状です。


「女」は作者である萩原の相馬婦人、黒光に対する恋愛感情の発露ともいえる作品であるという解説に一驚を喫しました。エロティックにも見え、また威厳に満ちたようにも思えるその作品は、自らの芸術のよき理解者であり援助者でもある相馬愛蔵の妻への禁断の、成就し得ない、実らせてはいけない恋に懊悩する心情を至高の芸術に昇華させた傑作です。もっとも私は彫刻に関しての審美眼は持ちあわせていないので、素人の感想ですが。


犬養毅礼状の相手であるボースは通称「中村屋のボース」で知られる人物。若い頃からインド独立闘争に従事し、インド総督暗殺を試みるなどして賞金首となり日本に逃れ、中村屋アトリエでで匿われます。後に中村夫妻の娘と結婚して、日本国籍を取得。日本で独立闘争を展開するようになります。


犬飼は礼状の中で中村屋で振舞われたカレーの味は生涯忘れられないと記していました。余程美味かったとみえます。ボースは匿われていた中村屋アトリエで時間を持て余していた時、インドの本格的なカレーを作り周囲の人々に食べさせていたのです。それが評判となり、正式に中村屋のメニューとして採用され、それが現在に続く「中村屋のカレー」の源となりました。ボースは当時の日本のカレーを「あれはカレーではない」と批判していたそうです。海外で「日本料理」なるものを食べてズッコケた経験の有る方もいらっしゃるでしょう。それに近い感じなのかも知れないですね。そこら辺の逸話は書籍「中村屋のボース」に詳しいので参照して下さい。因みに日本名「防須」は犬飼の命名との事です。


展示スペースはさほど広くはないのですが、充実した内容で新たな知見を得て満足のいく展覧会でした。4月10日まで開催。


同館の常設展示もなかなかのものです。




その後、徒歩にて旧キャットウォークスタジオへ移動。案の定鍵がかかっていて閉鎖されていました。何時再開するのか気になっていたので、新宿歴史博物館から近いこともあり寄ってみたのですが、予想通り無駄足でした。


先月から痛かった右足が徐々に酷くなってきました。本日、若干多めに歩いたせいで痛みが増したように感じます。




※ラス・ビハリ・ボースは「ラース・ビハーリー・ボース」と表記される事が多いと思われますが、フライヤーの表記に忠実に引用しました。