本日は横網町公園の復興記念館にて開催中の「石川光陽が遺した戦災写真パネル特別展」と、旧新橋停車場鉄道歴史展示室にて開催中の「石川光陽写真展 警視庁カメラマンが撮った昭和モダンの情景」を鑑賞。
復興記念館は関東大震災で最も被害者が集中した場所の一つとして知られている「陸軍被服廠跡」の地に犠牲者追悼の為建てられたものです。後の東京大空襲でも多くの犠牲者を出し、この地の東京慰霊堂に祀られています。東日本大震災からまさに復興しようとしている今、時宜を得た展示だと思い出かけました。
館内は関東大震災の資料や被災品の展示が中心なのですが、一部展示品は此の度の震災の影響で修理中との事。巡り合わせの皮肉というか、思うところ多いですね。
石川光陽は警視庁カメラマンとして戦前から都内各地を記録していたカメラマン。物資統制が行われ、フィルムや機材が入手しづらい中にあって空襲後の東京を撮影し得た殆ど唯一のカメラマンといっていい存在です。また戦後GHQがネガ提出を命じるも頑なに拒否し、ついには自宅の庭にネガを埋めてまで守りぬいた気骨の人でもあります。最後はGHQ側が折れてプリントの提供で妥協したというオチまで付いています。現在我々が目にする空襲時の写真は殆どが石川の手によるものだとされているのも納得です。先日私が見た「東京大空襲資料展」@浅草公会堂でも石川の写真が展示されていました。
展示写真は少数でしたが、惨禍を余す所無く写し込んでいるように感じました。画面の隅々迄よく構成されたというか、情報が密に盛り込まれていながら無駄が無い、理知的といえる写真です。よくあの極限状況下でこれだけの作品を撮影できたものだと敬服します。
鉄道歴史展示室の写真展は一転して石川が警視庁カメラマンとしての日常捉えた写真が主体でした。警視庁公式といっても堅苦しい作品ではなく所謂スナップショットです。昭和初期の東京の風景、人、生活、風俗といったものを生き生きと写し取っているように感じました。ただ、同時代に活躍していた木村伊兵衛、桑原甲子雄等のスナップの名手とは違った作風を感じたのは、やはりそこに警視庁の記録者としての意識が働いていたのかも知れません。何れにせよ並々ならぬ力量と眼力はもっと評価されるべきであると思います。彼の仕事を我が国の写真史にどう位置付けるか、評論家や学術関係者の動向を注視したいと考えます。
慰霊堂↓
此の度の震災で壊れた鐘↓
旧新橋停車場鉄道歴史展示室外観↓








