俺の冒険・ラキ子の冒険
出張中に某Aミノさんと言うメーカーさんと、福島県郡山市の美容室にて被災。
そして悲惨な惨状を目の当たりにし、過酷なロングドライブのスタートをきったのだった。
と言いつつも男2人で11時間も車に乗ってると不謹慎と分かっててもテンション高くなるよね。
途中、体して食材・水もろくに買えないままでも笑いながら、でもニュース聞いては深刻になりを交互に繰り返しながら仙台へ到着。
某Aミノさんは俺の自宅から近いので、俺の駐車場へ車を置いていたのでそこから帰宅。
俺も家に入って電気のスイッチを入れると?
??
何で?
電気着かねーじゃん、チッってな感じ。
すっかり停電中なの忘れてた。
しかも普通ならウチのラキ子さんが迎えてくれるのにそれも無い。
まさか!!!
最悪の状況を思い浮かべつつも暗闇を歩いていくと
ドン!?
何か足に当たった!
携帯電話かざしたらラキ子だった。
あー、ホッとした。
これが初日(3月11日)
2日目(3月12日)
一日中死んだ様に寝てた。
どんなに大地震来ようと死なないと強く信じていたので余震で揺れても寝たおした。
(多分、自然に対する軽い抵抗のつもりもあったんだろうけど、純粋に疲れ切ってた)
3日目(3月13日)
利府イオンへ食料・水の買い出し。
帰り際にウチの超近所(徒歩39秒)の超美味い焼き鳥屋が焼いてるじゃない!
車を置いて速攻で並ぶ事に躊躇いは無かった。
この時点で10人くらいだったかな、みるみる内に50人位並んできた。
しっかり2パック手に入れたし大満足。
で、この頃から携帯電話のメールで会社が電気・水道復旧したと聞いたので炊飯器持って会社へ行った。
この時点で21:30過ぎ。
会社に後輩がいたので事情を確認して毛布を分けて貰って、初めて会社に泊り込んだ。
6F建てのこのビルにたった一人きりで。
いつも一人だと空間の広さは関係無いようで23:30には就寝。
寒くて途中で目覚めてエアコン温度上げたのを記憶している。
4日目(3月14日)
7:00に誰かが侵入して来た!?
俺の所に近付いてからお互い超驚いたのは言うまでもない。
そりゃ、普通自分のデスクの後ろで横たわってるなんて思わないよな。
そんな楽しい目覚め♪
思うに過酷な状況化でこそ、如何に楽しみを見つけるか!が俺の長所なのではなかろうか。
またも不謹慎かもしれないが…
時間は流れ昨日の後輩が家族連れ(奥さん・子供・義理のお母さん・義理の妹さん)で再び会社にやって来た。
どうやら俺と同様ライフラインが全く復旧していないそうだ。
仲間増えちゃったよ。
ここで一度自宅に戻り、会社に引っ越す事を決めた。
着替え・布団一式持って来た。
これがラキの最後のご飯。
5日目(3月15日)
会社に住んでる事を本社へ報告し、他のメンバーに電話連絡の嵐。
次々とやって来るメンバー達だが、何名かは連絡が取れず。
でもまぁ、寒さに震える事も無く、水に困る事も無く、トイレに困る事も無く、携帯電話・ipadの充電に困る事も無く生活が出来るようになった。
会社の立地が県庁のスグ傍だと言う事が誰よりも何よりも恵まれていた。
この立地で決定してくれた会長には感謝の言葉も無い。
この日は親友のお父さんが野蒜で津波に飲まれて亡くなった報せを受けた。
震災初日から連絡が取れなかった親友からの無事な報せと共にやって来た訃報。
よく知ってるお父さんだけに鮮明に顔が思い出されて眠れない夜だった。
また、友人達の両親やお父さんも石巻で行方不明と言う事で言葉を失っていた。
6日目(3月16日)
ラキ子は昨日丸一日ご飯を食べれずに水で飢えをしのいでた事になっていた訳だが

今日、ようやく合流してご飯をあげれた!
と当たり前に記述したが、ご飯を手に入れられたのは恵まれていた。
と言うのもおれもそろそろラキ子のごはんwが手に入らないとマズイと考え、奔走した挙句手に入らなかった。
そこへ内勤者の女性登場。
その手にはキャットフードが!!
『○○さん、絶対ラキちゃん死なせると思ったから並んでご飯買って来ましたよ』
まぁ頂いておいて何だが、酷いスねソレ。
絶対死なすってソレはねぇ。
でも会った事も無い猫の為にそこまでしてくれたとは有り難い。
いや、素晴らしいデス
本当に助かった。
危うく泣いてしまうところだったさ。
でもう、速攻でラキ子迎えに行ったさ。
小一時間後。
初めて会社に入るラキ子。
超泣きっぱなしだったと思ったら会社内で突然行方不明になった。
探す事90分。
荷物置き場でうずくまってた。
90分間怖い思いしながらどんな冒険をしてたんだろう?
さぞ長い90分だったんだろなぁ。
明日からは一緒だぜ!
普通あり得ない事だよな
そして悲惨な惨状を目の当たりにし、過酷なロングドライブのスタートをきったのだった。
と言いつつも男2人で11時間も車に乗ってると不謹慎と分かっててもテンション高くなるよね。
途中、体して食材・水もろくに買えないままでも笑いながら、でもニュース聞いては深刻になりを交互に繰り返しながら仙台へ到着。
某Aミノさんは俺の自宅から近いので、俺の駐車場へ車を置いていたのでそこから帰宅。
俺も家に入って電気のスイッチを入れると?
??
何で?
電気着かねーじゃん、チッってな感じ。
すっかり停電中なの忘れてた。
しかも普通ならウチのラキ子さんが迎えてくれるのにそれも無い。
まさか!!!
最悪の状況を思い浮かべつつも暗闇を歩いていくと
ドン!?
何か足に当たった!
携帯電話かざしたらラキ子だった。
あー、ホッとした。
これが初日(3月11日)
2日目(3月12日)
一日中死んだ様に寝てた。
どんなに大地震来ようと死なないと強く信じていたので余震で揺れても寝たおした。
(多分、自然に対する軽い抵抗のつもりもあったんだろうけど、純粋に疲れ切ってた)
3日目(3月13日)
利府イオンへ食料・水の買い出し。
帰り際にウチの超近所(徒歩39秒)の超美味い焼き鳥屋が焼いてるじゃない!
車を置いて速攻で並ぶ事に躊躇いは無かった。
この時点で10人くらいだったかな、みるみる内に50人位並んできた。
しっかり2パック手に入れたし大満足。
で、この頃から携帯電話のメールで会社が電気・水道復旧したと聞いたので炊飯器持って会社へ行った。
この時点で21:30過ぎ。
会社に後輩がいたので事情を確認して毛布を分けて貰って、初めて会社に泊り込んだ。
6F建てのこのビルにたった一人きりで。
いつも一人だと空間の広さは関係無いようで23:30には就寝。
寒くて途中で目覚めてエアコン温度上げたのを記憶している。
4日目(3月14日)
7:00に誰かが侵入して来た!?
俺の所に近付いてからお互い超驚いたのは言うまでもない。
そりゃ、普通自分のデスクの後ろで横たわってるなんて思わないよな。
そんな楽しい目覚め♪
思うに過酷な状況化でこそ、如何に楽しみを見つけるか!が俺の長所なのではなかろうか。
またも不謹慎かもしれないが…
時間は流れ昨日の後輩が家族連れ(奥さん・子供・義理のお母さん・義理の妹さん)で再び会社にやって来た。
どうやら俺と同様ライフラインが全く復旧していないそうだ。
仲間増えちゃったよ。
ここで一度自宅に戻り、会社に引っ越す事を決めた。
着替え・布団一式持って来た。
これがラキの最後のご飯。
5日目(3月15日)
会社に住んでる事を本社へ報告し、他のメンバーに電話連絡の嵐。
次々とやって来るメンバー達だが、何名かは連絡が取れず。
でもまぁ、寒さに震える事も無く、水に困る事も無く、トイレに困る事も無く、携帯電話・ipadの充電に困る事も無く生活が出来るようになった。
会社の立地が県庁のスグ傍だと言う事が誰よりも何よりも恵まれていた。
この立地で決定してくれた会長には感謝の言葉も無い。
この日は親友のお父さんが野蒜で津波に飲まれて亡くなった報せを受けた。
震災初日から連絡が取れなかった親友からの無事な報せと共にやって来た訃報。
よく知ってるお父さんだけに鮮明に顔が思い出されて眠れない夜だった。
また、友人達の両親やお父さんも石巻で行方不明と言う事で言葉を失っていた。
6日目(3月16日)
ラキ子は昨日丸一日ご飯を食べれずに水で飢えをしのいでた事になっていた訳だが

今日、ようやく合流してご飯をあげれた!
と当たり前に記述したが、ご飯を手に入れられたのは恵まれていた。
と言うのもおれもそろそろラキ子のごはんwが手に入らないとマズイと考え、奔走した挙句手に入らなかった。
そこへ内勤者の女性登場。
その手にはキャットフードが!!
『○○さん、絶対ラキちゃん死なせると思ったから並んでご飯買って来ましたよ』
まぁ頂いておいて何だが、酷いスねソレ。
絶対死なすってソレはねぇ。
でも会った事も無い猫の為にそこまでしてくれたとは有り難い。
いや、素晴らしいデス

本当に助かった。
危うく泣いてしまうところだったさ。
でもう、速攻でラキ子迎えに行ったさ。
小一時間後。
初めて会社に入るラキ子。
超泣きっぱなしだったと思ったら会社内で突然行方不明になった。
探す事90分。
荷物置き場でうずくまってた。
90分間怖い思いしながらどんな冒険をしてたんだろう?
さぞ長い90分だったんだろなぁ。
明日からは一緒だぜ!
普通あり得ない事だよな
