本年度2022年早稲田大学教育学部の入試現代文に、課題文の筆者から物言いがつきました。
以下にその記事の一部を抜粋します。
早大教育学部の入試国語めぐり著者が問合せ→回答に猛反発「誠実な対応を」 大学「発信は認識」
早稲田大学教育学部の入試で出題された国語の問題について、問題文に一部内容が使用された書籍の著者である明治大学の重田園江教授(政治思想)が、自らの問い合わせに説明がなかったことに納得できないと、教養情報サイト「SYNODOS(シノドス)」上で早大に抗議した。
早大からは、個別に説明していないなどと回答があったという。重田教授は、大学側には説明責任があると指摘しているが、早大の広報課は、担当部署に確認したうえで「重田教授の発信は認識している」とだけ取材にコメントした。
jcast ニュース(ビジネス&メディアウォッチ)2022/03/15記事より
(2022/03/16のYouTube動画(もりてつさんチャンネル)にこの件で僕が話したことがUPされます)
私見ながら、Yahoo!NEWSになっているこの件については大別三つの論点が混在していると思います。議論に混乱がないよう析出するとこんな感じです。
①課題文の筆者と異なる解釈を入試の正解としていいのか
②正解がブレるような出題は許されるのか
③事後的な対応はそれでよいのか
まず僕の結論です。
①入試問題の正解は筆者の意図と異なってもよい
②正解はブレてはいけない
③今回の早稲田の事後的対応はマズい
簡潔に理由を説明します。
①入試問題は限定的な文脈(課題文)のなかで客観的な根拠を踏まえて導き出せる範囲の解釈を「正解」とするものです。だから出題者の想定する「正解」と課題文筆者の意図とが異なるような場面は(決して望ましくはないものの)時には起こり得ます。
②選択肢問題は正解を一つに絞り込めるものである必要があります。そしてそれは受験生が試験で与えられた条件下で読み出せる、客観的な正解でなければなりません。そうでない試験は試験としての意味がなくなります。
③出題に深刻な疑義が発生した場合は試験考査の結果に責任を負うべき大学側に説明責任があると思います。採点結果の見直しも含め、たとえ事後的にであっても誠実に対応する必要があります。
上記①〜③にはそれぞれ踏み込むと派生的なもっと深い議論があり得ます。しかしこのブログでは現代文を教える予備校講師として僕が今回の問題をどう考えるのかだけを簡潔に申し述べるにとどめます。
では少しだけではありますが大切な話に移ります。
受験生のキミは、どういう状況であろうと日々トレーニングするしかありません。「鬼の一念岩をも通す」と言います。 8割程度の得点があれば合格の喫水線は越えるわけなのだから、ひたすら読解力を鍛え上げるしかないのです。この世界には様々な不合理があって、時にこうして公平性や透明性を本質とすべき大学入試にすら、そうした矛盾は現れたりもするのです。さぞや憤ろしいでしょう。気持ちは死ぬほど分かりますが、それでもキミには出題にケチをつける暇などないのです。僕個人は、これで不合格になったかもしれない受験生のことを思うと許し難いような気持ちになっています。それでも事実を伝えるべきだと思うから言葉にします。こうした出来事はこれまで明るみに出なかっただけで幾度も発生していたのだろうし、これからも何度も起こり得ると思います。そして今のSNSの時代、この手の問題提起はより頻繁になり前景化して行くはずです。
どうか強くなってください。不運も不合理も丸呑みしてください。いちいち不平をあげ連ね、拗ねてしまう暇があったら、もっと強く自分の未来を信じてください。キミはキミのその顔を上げて威風堂々歩んでください。すべての困難はより良くなるためのギフトだと思います。