あー気持ちいい。
清々と澄み切った空に、深まる秋を感じます。
空気がおいしいって、こういう場所のことを言うんでしょうね。いやホント。
さて、みなさん。ここどこか分ります?
ちなみに写真中央に見える冠雪は、我が国が誇る霊峯のもの。
その高さ3776メートル。
お分かりになりました(笑)?
オーストリアの詩人リルケの詩文には、
「・・・その画家は描いた/三十六回も百回も/三十六回も百回も・・・」
というくだりがあります。
富士を深く愛した当代きっての浮世絵師、
そしてその画に深く心を揺さぶられた西欧人。
透徹した二人の芸術家の目には、無言のまま万年雪を抱く霊峯がそびえ立っていたわけです。
いやいや、そーではなくて、問題はですね。
なぜ僕が「山梨県」にいるのかってこと。
おとといは、神奈川県は「たまプラーザ」にて熱い授業を展開していたはずなのに。
そのわけはね。
ま、話せば長くなるので・・・・・
話しますけどね(笑)。
そう・・・あれは、かれこれ○○年前(笑)。 もうずいぶん前のことになります。
場所は京都。
某予備校医進クラス。
僕はまだ19でした。
入塾直後、幾人かの知己を得ました。
ま、キミたちにもよくある、例の、「偶然席が近かったから」、っていうあれですね。
でもね。
ホントに偶然ですが、みんなユニークで面白いやつでした。
ひとりは、僕と同じく大阪出身。彫りの深いイケメン雀鬼。賭博全般、妙に強いやつで、いつも悠然とていて、不思議なオーラがありました。
ひとりは、四国は高知県出身で、これも偶然ですがハンサムで弁の立つやつでした。彼とはもっとも長く一緒にいて、もっともいろいろなことがあった親友です。
そしてもうひとりは、関東弁を話すちょっと不思議な男。学期の途中からひょいといなくなってしまいましたが、福福しい大きなホクロが眉のあたりにあったことを覚えています。
あ、ところで三人目の彼ですが、なぜ不思議かって、もちろん関東弁だからではないですよ(笑)。
いくつか年上だったように思いますが、ひとりだけ将来の志望が変わっていたんです。
だってそこは、一応「医進クラス」。
普通は勉強の相談だとか、どんな医者になりたいかとか、大学ごとの学閥がどうだとか、いくらくらい儲かるのか、とか・・・
ま、そんな話、するでしょ(笑)?
将来の話を彼に振ると・・・いまでも忘れませんね。こう言ったんです。
「オレは、医者か、料理人か、ボランティアか、そのあたりの仕事をしたい」
・・・ん?
最初の「医者」ってのは分かる。それはいい。でもその後に続く「料理人か、ボランティア」って?
聞き返す僕たちに彼は、「人を喜ばせたり、楽しませたり、オレのなかでは、同じ方向に見える」だって。
なんかカッコいい(笑)。
理解はできないが、カッコいい(笑)。
ま、いっか。
そうして数か月を経ないうちに、彼は教室から姿を消しました。
なんだろ?あいつどうしたんだろ?
そんな疑問も、苛烈な勉強に追われる日々の中で、いつしか雲散霧消し・・・
気がつけば、それぞれは、それぞれの道に進みました。
志望そのものが曖昧なままでは、医学部への受験勉強についてはこれなかったんだろうな。
彼への酷評・・・なんの根拠もない極め付け。残酷で利己的な恣意性。
振り返るに幼くも愚かな時代だったように思います。
さて、数年後・・・
ふとした偶然で、僕は、再び彼と出逢うことになります。
ある衝撃とともに。
某カフェで就職活動中の学生が集い、あれやこれやと情報交換(とは名ばかりでしたが)に勤しむころ。
歓談する仲間から、ちょい距離を置き、何気なくマガジンラックから手に取った雑誌。
「ゲイナー」というフレッシュマン世代を対象にしたファッション誌(今もコンビニの棚に並んでいますよ)。
どういう記事だったか、ともかく、新進気鋭の若き才能にスポットを当てるコーナーだったように思います。
「銀座ラカンに綺羅星のごとく現れたソムリエ・・・」
「老舗名店を支える史上最年少の才能・・・」
「未来を嘱望された可能性・・・」
きらびやかな文字が躍るなか、ポマードをべったりつけたオールバックの髪に、黒いスーツでワインを注ぐとある人物の写真が掲載されていました。
ふーん。一瞥して、ページを繰ろうとしたその瞬間、電流に打たれたような気がして、動きが止まりました。
あれ? こ、これって・・・
・・・衝撃的でした
その頃の僕は、法律の勉強に夢中で来る日も来る日も自分の可能性を信じて、幾度も折れそうになる気持ちを奮い立たせ、誰ひとり認めてはくれない真っ暗なトンネルをひた走っていました。
・・・衝撃的でした
教室からいなくなった彼は、たしか「ゴ・ミ・タ・ケ・ミ」。
うん。こんな名前だった。
なにより眉に大きなホクロ。
・・・衝撃的でした
自分ばかりが、一生懸命で、他の誰より偉くなれると信じていました。そういう僕の妄想に冷や水を浴びせるかのように彼は、真剣な目で客人のグラスに、おそらくは高価なワインを注ぎいれています。
胸が熱くなって、しばらく、ことばが出ませんでした・・・
真っ暗で先の見えない自分の人生と、キラキラ光る彼の足跡と。
圧倒的な差。
写真のなかでポーズを決める彼に、それでも不思議なくらいくやしい気持ちは湧いてきませんでした。
今思っても、それは妙に清々した気分でした。
コツコツと努力を続けた友人の、世間からの称賛と脚光とを、心から素直に喜べた瞬間でした。
そうした努力が、いつか報われることを、まざまざと見せつけられ、叱咤され、鼓舞されているような感覚でした。
苦しくて、苦しくて、それでも這いずって前に進もうとしていた時期に、そうだからこそ、柄にもなく目がしらが熱くなって、顔を上げられませんでした。
さて、キミたちには、「メンター」と呼べる人がいますか?
自分の理想であったり、目標であってり、導き手として尊敬できる人物です。
そうした人がいるのなら、それはとても豊かなことです。
僕には、います。
ここ山梨県には、いま各界の著名人が美味なる感動を求めて、こぞって足を向ける名店があります。
「ビストロ・ミルプランタン」
銀座ラカンを勇退し、彼はいま、大切な奥様と、地元山梨に、とても居心地のいいお店を持っています。
決して大きな店ではないけれど、最高の食材と最良の調理と、美味なるワインで、訪れる老若男女、あらゆる人を楽しませ、喜ばせています。
どのくらいの時間が経ったのでしょう。
どのくらいの苦労をくぐったのでしょう。
どのくらいまっすぐ自分の思いを信じ続けたのでしょう。
ともあれ、ここにはひとりの友人の、夢の結晶があります。
僕はひたすらそれが誇らしい。
ここの店には、今日で二度目の訪問ですが、来るたびに彼の背中に圧倒される思いです。
社会的な立場も職業も、なにもかも異なる道を歩む「彼」の、堅実で静かで豊かなその空間が、
僕には、嬉しくて、ありがたくて、いつも胸がいっぱいになります。
苦しく長い道を歩く時に、自分のなかで何かの支えになってくれた、その人の手からいただくワインは、最上の味わいです。
五味さん、今日もとても美味しかったです。
歩むべき道の先の先に、そうしていてくれて、いつもありがとう。