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11月24日 妹1号の誕生日

12月25日 クリスマス

12月27日 妹2号の誕生日

12月29日 俺の誕生日

いつの頃からか
子供の楽しみである行事が
クリスマスにまとめて取り行われるようになった。

子供3人の誕生日とクリスマスのプレゼント
そしてついには正月のお年玉に至るところまでが
同時支給

「ほれ、誕生日とクリスマスのプレゼントとして
お年玉をあげよう」

もはや何に対して
何をもらってるのか
わからない

正月に親戚からもらうお年玉は
お袋の手元に直行し
中身を別のポチ袋に入れ替えて
くれた親戚の子の元へ帰っていく。


それが元ではないけれど
徐々にヤンキーとして仕上がっていく俺は
特に祝われる訳でもない
自分の誕生日を意識することは
ほとんどなくなっていき

中学生になると
クリスマスのケーキすら
俺には準備もされず

ますます家族の
年中行事から
離れていった。

高校を中退し
家にも帰らなくなり
久しぶりに顔を合わせるのが
深夜の警察署という始末で
家族との会話はなくなっていった。


昭和63年の初秋
当時17歳(数えで18歳)の時に
ある事件が元で

「お前は親にも世間にも甘えている。
家を出て一人で暮せ」

そう言われ家を出て
一人暮らしをすることに・・・


17歳で保証人もなく
自力で部屋を借りることは出来ないので
市営団地へ引越しする予定の
職場の仲間が住んでいたアパートを
名義をそのままで又借りした。

後にきちんと名義も全て
自分で借り直したが
そんな状態で借りたので
親はどこに住んでいたのか
20年経過した現在でも
詳しくは知らないまま。

当時携帯電話と言えば
大工の親方が担いでいる
ショルダーフォン程度しか見かけることはなく
しかも恐ろしいほどの通話料がかかるシロモノだったし

固定電話の設置にも加入権料金が高額で
電話については完全にあきらめていたのだけど

知り合いが休眠状態の固定電話の権利を持っていて
とりあえずしばらくそれを使わせてもらえることになった。


正確には自分の物じゃないけど
それでも当時の俺としては
自分専用の電話が出来たことが
急に大人になったようで
すごく誇らしく嬉しかった。

親に対して住所もまともに教えないのに
ちょと自慢してやりたい気持ちもあって
電話番号はすぐに知らせた。

それから数カ月
親からの電話など一度も掛かってこないし
自分からも掛けなかった

18歳になるその年の12月29日
仕事納めの出勤をしようとしている朝に
電話がなった

「あ~もしもし、おかあちゃんだけど

今日誕生日だっぺ?

あれだ・・・おめでとう。

元気?そうか・・・ふ~ん・・・じゃ」

当時まだ38歳なのに
年寄りみたな話し方にも思えるし
たった数秒のこれだけの電話だけど

あまりにも突然で意外でふいを突かれ
切ったあとに不覚にもウルウルしてしまった。


さんざん迷惑かけて
追い出される格好で家を出たけど

嫌われても
忘れられてもいないんだなと

よく考えれば当たり前なんだけど
その時は素直にそう感じたのを
よく覚えている。


あれから20年

お袋は次から次へとやってくる
総勢8人の孫達の誕生日に追われ

俺はセガレから

「誕生日おめでとうございます」

と妙によそよそしい文面のメールが届くようになった。














 



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