前回紹介したボロは近所のノラさんでした。

私の猫ボランティアは

身の周りの猫を保護したり、手術するところから始まりました。

 

記憶と記録を頼りに、それらの猫たちとの出会いも綴っていきたいと思います。

 

平成元年 この地に家を建て

それまで住んでいた長屋式の二階建公営住宅から、犬猫一匹ずつ連れて越してきました。

 

こういう団地に住んでいました。今は高層に建て替えられています
 

一歩外に出れば、当時は至るところで猫を眼にしました。

多くの猫たちは栄養状態が悪く、病気を持っているようにみえました。

 

毎年春から秋にかけてたくさんの子猫が産まれました。

 

当時はまだ空き地も多く

痩せて毛づやの悪いお母さん猫が、陽当たりの良い場所を選んで授乳している姿を眼にすることもありました。

 

子猫たちは猫風邪に罹り、成長前に亡くなる子も多かったようです。

一方、未手術の雄猫たちにとっては、縄張りや牝を巡る喧嘩は繁殖期になると熾烈を極め、ボロのように傷つく猫も多かったのです。

 

引っ越して間もないある朝、家の前の空き地に、捨てられたと思われる数匹の子猫が身を寄せあっていました。

 

家族に「猫が捨てられている…」と伝えましたが、保護しようという気持ちはありませんでした。

 

当時連れてきた猫は気難しく他の猫を受け入れるとは思えず、私自身 猫は複数飼いするものではない

と信じていました。

今思うと嘲ってしまいますが。

 

早く何処かに行ってくれないかな…

と思いつつ、玄関を開けてみると真っ白な子猫が一匹、玄関前の段差をよじ登り敷地内に入ってきました。

その姿が健気で、さすがに追い払う事は出来ず

初めて自分の意思で中にいれました。

 

残った2匹は暫く元の場所に留まっていましたが、そのうち何処かに行ってしまいました。

 

黒白の子猫でした。

後に多く保護する事になる黒や白の猫とこの時の子猫の間には、何らかの血縁関係があるのかもしれません。

 

真っ白な子猫には「モモ」と名付けました。初代モモで、今いるももは2代目です。

 

夫に抱かれるモモです。写真の状態が悪く、溶けて一体化しています笑い泣き
 

この子には特別な使命があったようです。

子どもの頃から猫は身近にいましたが、特別猫好きだったわけではありません。

一番の推しは鳥でした。

 

連れてきた犬も猫も

拾ってきた子どもの熱意に負けて飼い始めたものです。 

 

当時は子育てや仕事で忙しく、ペット禁止の公営住宅だったこともあり、正直犬猫どころではなかったのです。

 

そんな私にモモは「猫がどんなに愛らしい生き物か」

ということを余すところなく、教えてくれました。

 

当時三交代だった夜勤から、深夜に帰る私の車の音を聞き分け、背伸びして音の方を見る

と家族に聞かされ、いっそう愛おしく思ったものです。

 

猫の愛らしさに目覚めると、当時の外猫の過酷な境遇が気になり出しました。

今まではペット不可の住宅に住んでいたので、肩身の狭い思いで隠し飼いしていたのが、これからは堂々と飼うことが出来ます。

 

ある日の買い物帰り、

道端にチョコンと座って居る子猫が眼に入りました。

 

それまでだったら、見てみぬふりをして通り過ぎた事でしょう。

しかし今は、モモによって目覚めさせられた「猫愛」が黙っていません。

車を止めて拾い上げてみると驚く程軽く、酷い猫風邪をひいていました。鳴くこともしません。

 

全身汚れがひどく、蚤だらけでした。先ずは蚤を落とそうとシャンプーをすると、シャーと下血しました。病院で風邪薬と蚤、寄生虫の薬を貰いのませました。

 

駆虫薬を飲ませると、あんな小さな身体によくも!

と驚く程たくさんの回虫が出てきて、割り箸でつまんで数えた記憶があります。

 

気持ち悪いというよりは、薬の効果が出た事に喜びを感じました。

一匹の猫の腸管からあれ程の回虫が出てくるのを見たのは後にも先にもありません。

下血の原因は虫によって粘膜を傷つけられたものと思われます。

 

酷い状態にも拘わらず、子猫はよく食べ、どんどん回復していきました。

 

目やにでくっついていた目が開いた時には、左目は既に失明していましたが、生活する上では何も問題ありません。

 

チャコと名付けた子猫は一寸ぼんやりした子で、そこがまたチャーミングでもありました。

 

うっかり閉じ込められてしまうと、鳴いて訴えることもせずドアが開くまで忍耐強く待ちます。

あけてやると全身で喜びと感謝を表しました。

 

それが可愛い

と、娘は時々わざと閉じ込めて感謝されていました。

 

モモもチャコの事を可愛がり、外に連れ出しては、狩の手ほどきをしていましたが、チャコが大事に持ち帰るのは、大抵小さな小枝か、枯れた葉っぱでした。

 

 

チャコを教育するモモ

 

 
成長したチャコ
 

その後も次々猫を家に入れ始めた頃、モモはこの世を去りました。

 

猫が増えていきました
 

まだ5~6才だというのに腎臓病になり、あらゆる治療に拒否的でした。

「使命は果たした。私の役割はもう終わった。」とでも言うように。

 

それは今でこその思いであり、当時の私はモモの死を嘆き悲しみました。

猫の数が増えた為にストレスで病気になったのではないか?

(どちらかと言えばこっちの方が正解に近いのかもしれません)と。

 

しかしもう、後戻りできないところまで来ていました。

当時40代 子どもも手を離れ、私はモモとの出会いをそのように意味付けて、保護活動に邁進して行く事になるのです。